古典に学ぶ (136) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたかか⑳ 紫の上⑤ ─
                        実川恵子 

 紫の上亡き後、物語は故人を追悼しながら、いかに心静かに出家を遂げるべきか、そのことだけを求めて生きる光源氏の日々がわびしく綴られている。亡き紫の上を偲ぶしみじみとした哀感が漂う。
 その紫の上の死を語る「御法(
みのり)」に続く四十一帖「幻(まぼろし)」は、第2部の最後に置かれる。この「幻」帖の終盤に、

「もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間(ま)に年もわが世もけふや尽きぬる」
(物思いをして月日の過ぎるのも知らぬ間に、この一年もわが生涯も今日で終わってしまうのか)の歌を残し、光源氏の生涯を語ってきた二部は幕を閉じている。「幻」帖は、次の四十二帖「匂宮(におうのみや)」との間に8年間の空白があり、「匂宮」帖の冒頭には「光隠れたまひし後」(この世の光であられたお方がおかくれになったのち)と書き起こされている。

 このように源氏の死の場面の省略は、作者自身の構想によるものであろうが、非常に巧みな方法と言わざるをえない。これまで『源氏物語』が描いてきた人生の有為無常、愛情の物語は紫の上の死を承けたこの「幻」で終えるべきであったと思う。そのような意味でこの帖は残照のようでもあり、これまで物語を読み、あじわってきた読者のこれまでの物語の余韻と想像に委ねるかたちなのであろうか。書ききってしまわないことで、その余情に浸ることができる。読者に想像の余地を残す方法なのであろう。
 紫の上に先立たれた源氏は悲嘆にくれ、長年の女房たちを相手に紫の上を偲び、故人を苦しめた日々を後悔する。そして、自らも出家の準備をするのであった。その後、源氏は出家のために身辺の整理を始めた。

 落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども、破(や)れば惜しとおぼされけるにや、少しづつ残したまへりけるを、もののついでに御覧じつけて、破らせたまひなどするに、かの須磨のころほひ、所どころより奉りたまひけるもある中に、かの御手なるは、ことに結ひあはせてぞありける。みづからしおきたまひけることなれど、久しうなりにける世のこととおぼすに、ただ今のやうなる墨つきなど、げに千年(ちとせ)の形見(かたみ)にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよとおぼせば、かひなくて、疎(うと)からぬ人々二三人ばかり、御前(おまえ)にて破らせたまふ。
 (後に残って人目に触れては見苦しいような、人からもらった手紙類を、「破れば惜し」とお思いになったのであろうか、少しずつお残しになっておかれたのを、何かのついでにお見つけなさって、破らせなさったりなどするときに、あの須磨で過ごしたころ、あちらこちらの方々からさしあげなさったものもある中で、あの方(紫の上)のお筆のものは、特にまとめて結わえてあるのであった。源氏の君ご自身でなさっておかれたことであったが、それも長いこと時がたってしまった昔のこととお思いになるのに、たった今のものであるような墨の付きぐあいなどは、なるほど千年後までの形見にしてもよいものであったが、「もうこれらを見ることもなくなってしまうのであろうよ」とお思いになると、残して置くのもかいのないことなので、親しく気心の知れた女房2、3人ばかりに、見ていらっしゃる所で破らせなさる)

 そして、須磨退去のころ、紫の上と交わした手紙の束もみな焼かれてしまうのであった。その後、次のような源氏の2首の和歌が置かれている。

死出(で)の山越えにし人をしたふとて跡を見つつもなほまどふかな
(死出の山を越え、あの世に行ってしまった人を追って行こうとして、残した足跡(筆の跡)を見ながらもまだ思い乱れていることよ)
かきつめて見るもかひなしもしほ草おなじ雲ゐの煙とをなれ
(かき集めてみたところでかいもないことだ。もしお草(紫の上の手紙)よ、亡き人と同じ空の煙となるがよい)

 後の歌の「かひなし」の「かひ」、「貝」が掛詞、「もしほ草」は藻塩をとる材料にする海藻のことで、「煙」・「貝」との縁語関係にある。