古典に学ぶ (137) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたかか㉑ 浮舟の死の決意① ─
                        実川恵子 

 死を決意しながらも叶わず、生き永らえ、仏門に入った源氏物語の最後のヒロインである浮舟という女(ひと)がいる。どのような女君であったのか。彼女の半生を辿ってみたい。
 浮舟は八宮と女房、中将の君との子である。八宮は北の方が中君を出産し、亡くなった後、北の方の姪であった中将の君をひそかに召すようになった。その間に生まれたのが浮舟である。中将の君は人並みに扱われない屈辱をかみしめながら、八宮の許を去り、浮舟を伴って常陸介と結婚し長年東国で過ごした。中将の君は浮舟が成人した頃、八宮に会わせて認知してもらおうとしたが、八宮は取り合わず、そのまま亡くなってしまった。それでも中将の君は浮舟が20歳になった時、上京した際に中君の許を訪ね、中君は浮舟を知った。
 中将の君の夫、常陸介には数人の子がいたが、それぞれが結婚し、中将の君は浮舟の結婚を考えていた。そこで目を付けたのが左近少将である。ところが、彼は結婚の日取りがせまった頃、浮舟が常陸介の実子でないことを知り、破談にして常陸介の実子に乗り換えた。少将は常陸介の経済力をあてにしていたから、浮舟との結婚では実益を期待できないと考えたのである。浮舟は八宮と中将の君と常陸介という3人の親たちの葛藤のはざまで翻弄された。彼らは互いの葛藤や利害やエゴを浮舟にしわ寄せしたのである。それはかれらの罪や穢れを浮舟に転嫁したのであり、そういう意味では浮舟は「人形」にされたといってよいだろう。

 さらに八宮の娘として認知されなかった浮舟は常陸介の継娘として受領の娘だが、彼女はそこに安住することも許されなかった。常陸介の世界は左近少将の功利主義のように、生まれの高貴さには何の価値もおかず、浮舟はそこでは余計者であった。八宮の子ではあっても宮家の娘ではなく、受領の娘であっても常陸介の子ではないというところに、寄る辺のない浮舟の不安定さがあったのである。安心できる「家」がなく、居場所が得られず、そこから締め出されるのであった。
 母中将の君は左近少将の打算的な態度を恨み、少将の通う常陸介の邸に浮舟を置くわけにもいかず、二条院の中君に一時預かってほしいと頼んだ。中君は父八宮が認知しなかった浮舟を預かることを躊躇したが、劣り腹(母の身分が低いこと)の姉妹が現われることは珍しいことではない。それに事情があり困っている異母妹を断るべきではないと女房から言われ、引き受けた。こうして浮舟は中君のもとに身を寄せ、亡き父八の宮の話を聞き、中君のもとにいられることを喜んだ。また、常陸介の世界から憧れていた宮廷貴族の世界に抜け出せる喜びも感じることができた。
 浮舟を連れて中君を訪ねた中将の君は、匂宮と中君夫婦の仲睦まじい様子を見たり、常陸介邸では立派に見えた左近少将がそれほどではなく匂宮にひざまずいているのを見、少将を好ましい婿と思ったことを悔いた。浮舟は高貴な人の側に置いても見劣りすることはあるまいと思い続けた。
 さらに中君を訪ねてきた薫をのぞき見た際、浮舟はぜひ薫と結婚させたいと願い、中君から薫の意向を伝えられるとすべてを一任した。浮舟が上流貴顕の世界に入ることは中将の君の夢でもあった。
 しかし、そこが浮舟にとって安住の所になりえないことは明らかなことであった。