古典に学ぶ (138) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたかか㉑ 浮舟の死の決意② ─
                        実川恵子 

 中君は匂宮から薫との仲を疑われて以来、薫の恋慕を迷惑にも厄介にも思うようになっていた。ある時いつものように大君を忘れられないと話す薫に、大君によく似ている異母妹のいることを打ち明けた。それが浮舟である。
 薫は宇治に寺を造って、大君そっくりの「人形(
ひとがた)(像)」や、絵を納めて勤行しようと思うようになったと話した。薫は大君を失った悲しみを軽減する手段として、「人形」を思いついたのである。これを中君は罪や穢れを撫でつけて川に流す祓の道具としての「人形」が連想され、大君がかわいそうだといいながら、その「人形のついでに」(宿木)、異母妹の浮舟のことを告げた。
 浮舟という最後のヒロインがこうした「人形」問答によって物語に呼び出されたことは極めて象徴的である。中君以上に大君によく似た異母妹のいることを知らされた薫は、そのことに非常に心をひかれた。そんな人がいたら宇治の寺の「本尊」にしたいと言いだした。中君はそのことを過分の幸いと応じた。彼らは「人形」や「本尊」と言って機知的に浮舟を話題にしたが、しかし、それは所詮川に流される「人形」の不吉なイメージや、山寺の「本尊」という寂しいイメージを浮舟に付与することでもあった。
 また、浮舟は中君にとっても薫の執拗な恋慕を回避する身代わりとして求められたのであった。薫と中君の双方が彼らの悩みや面倒事を祓い流してくれる存在として浮舟を求めたのである。浮舟は完璧に手段として存在したのであり、生きた祓えの道具とされたのである。このように手段化された存在として罪や穢れを負わされて川に流される祓具の連想と、山寺に据えられる仏の連想という不吉なイメージを、浮舟は一方的に付与されたのである。次の薫の歌は、そのような浮舟の位相をよく表している。

見し人の形代ならば身にそへて恋しき瀬々の撫でものにせむ (東屋)
(浮舟が大君の身代わりならば、いつも側に置いて、大君を恋しく思う折々にはその思いを晴らす撫でものにしよう)

 「形代」も「撫でもの」も「人形」と同じく罪や穢れを撫でつけて流す祓えの道具である。薫は浮舟に自分の悩みを撫でつけることで、みずからの救いを願った。このことを浮舟はどう思うか。彼女の気持ちはまったく考えていない。「人形」は浮舟の人生の象徴である。
 中君の身代わりとして、また大君の「人形」として薫の前に呼びだされようとしていた浮舟とは、どのような女君であったのか。彼女の半生について大会の講演中にも触れたが、前回の連載に詳しく記述したのでそちらをご参照下さい。
 浮舟の境遇は、八宮と中将、常陸介という三人の親たちの葛藤や利害やエゴを浮舟にしわ寄せしたのであった。それは比喩的にいえば、彼らの罪や穢れを浮舟に転嫁したのであり、ここでも浮舟は「人形」とされたのである。
 さらに八宮の娘として認知されなかった浮舟は常陸介の継娘として受領の娘であるほかはない。
しかし、彼女はそこに安住することも許されなかった。常陸介の世界は左近少将の功利主義に代表されるように、生まれの高貴さ、つまり貴種性には何の価値も置かず、浮舟は余計者、半端者であった。八宮の子であっても宮家の娘ではなく、受領の娘であっても常に「家」を奪われていた。貴族社会の身分構成の中で現実には受領の娘でしかないにもかかわらず、そこに居場所を得られず締め出されてしまうのである。ここにも流離する「人形」の性格を認めることができる。「人形」の設定は実に見事である。