古典に学ぶ (139) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたかか㉓ 浮舟の死の決意③ ─
                        実川恵子 

 薫と浮舟が結ばれるようになるまでには、なお経緯がある。それは、二条院で過ごすようになった浮舟が、ある日、彼女を中君の妹と知らずに目をつけた匂宮に言い寄られ、乳母の機転でかろうじて難を逃れるという不祥事がもち上がった。この事態に驚いた母中将の君は、慌てて浮舟を退出させ、三条の小家に隠れ住まわせることにした。浮舟はこの隠れ家を自ら訪れた薫に連れ出されて、宇治の山荘に住む身となった。
 こうして浮舟は、薫の庇護によってようやく静かに安定した日々を過ごすことができたかに見えた。しかし、薫にとっては浮舟はあくまで亡き大君の形代にすぎなかったといえよう。彼の宇治通いは、時折京の生活から逃れて大君の面影を偲ぶためであり、浮舟はそのよすがにほかならないのである。そのような浮舟にやがて過酷な運命が忍び寄ることになる。
 一方、一目見た浮舟の面影を忘れることができなかった匂宮は、たまたま浮舟から中君のもとに寄せられた手紙で彼女の所在を探りあてた。匂宮は彼女が薫の隠し妻となっている事情をぬかりなく調べ、機会を狙ってひそかに宇治の地を訪れた。あたかも薫が来訪したかのように装って、浮舟と逢うことに成功した。
 こうして浮舟は、薫と匂宮と、2人の男から情けを受ける身となった。薫に逢えば心深く危なげのない人柄に寄りすがっていかなければならないと自分に言い聞かせながらも、あの情熱一途の匂宮の魅力が思い出され、彼に取りつかれているわが身をどうすることもできない。また、匂宮に逢えばその愛情に、田舎育ちの浮舟は彼に身を委ねつつも、誠実な薫に背く不倫の行為が恥じられた。そして、これが薫に知られ、彼から見限られることになったらどうなるかを思い、恐れおののくほかはなかった。こうして彼女は、薫と匂宮の板挟みの、どうしようもないわが身の処置に困り果てた。事情を知らない薫は、物思わしげな浮舟を京に迎えようとする。浮舟はただただ煩悶するばかりである。次の引用部分は、浮舟の思い悩む心情が描かれる。それには、薫や匂宮の言動や性格や人柄を正しく読みとらねばいけない。心内語とそれに近い表現にも注目したい。その前半に、

 大将殿、少しのどかになりぬるころ、例の忍びておはしたり。寺に仏など拝みたまふ。御誦経(ずきょう)せさせたまふ僧に物賜ひなどして、夕つ方、ここには忍びたれど、これはわりもやつしたまはず、烏帽子・直衣の姿いとあらまほしくきよげにて、歩み入りたまふより、恥づかしげに、用意ことなり。
(25歳の薫は、朝廷の行事もすみ、少し落ち着いたころに、いつものようにお忍びで宇治にお出でになった。寺で仏などを礼拝なさる。御誦経をおさせになる僧にお布施をお与えになるなどして、夕方になって、この浮舟のもとにひそかにお越しになるけれど、この方はむやみに姿をおやつしにならず、烏帽子・直衣の姿はまことに申し分なくあかぬけのした感じで、しずしずとお入りになるなり、こちらの気がひけるほど御立派で、お心遣いも格別である)

 薫は、落ち着いて思慮深く、節度と誠実さをそなえ、貴公子然として気が置けない人物として描かれている。