古典に学ぶ (140) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか㉔ 浮舟の死の決意④ ─
                        実川恵子 

 「浮舟」という呼称は、匂宮に連れられて宇治川を渡る船中で読まれた、
 橘(たちばな)の小島の色は変はらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ
(橘の小島の緑は変わらないでしょうが、水に浮いているようなこの私はどこへ漂ってゆくのでしょうか、これから先の行く方(え)もわかりません)
の歌に由来するが、この呼称には二人の男とのつながりに心を引き裂かれ、揺さぶられる不安のみならず、どこまでも寄る辺なくさすらうほかない浮舟の人生が表象されている。その折の浮舟の思い悩む心情を丁寧に読み取りたい。

 女、いかで見えたてまつらむとすらんと、そらさへ恥づかしく恐ろしき、に、あながちなりし人の御ありさまうち思ひ出でらるるに、またこの人に見えたてまつらむを思ひやるなん、いみじう心憂き。我は、年ごろ見る人をみな思ひかはりぬべき心地なむする、とのたまひしを、げに、その後(のち)、御心地苦しとて、いづくのも、例の御ありさまならで御修法(みずほう)など騒ぐなるを聞くに、また、いかに聞きて思さん、と思ふもいと苦し。
(女は、「どんなふうにして顔をお合わせすればよいだろう」とそら恐ろしく恥ずかしい思いであるにつけても、一途なふるまいをなさった方(匂宮)のご様子がつい思い出されてくるので、さらにこのお方(薫)にお逢い申し上げることを思うと、たいそう情けない気持ちである。「宮が、わたしは長年連れ添っている人をも、皆あなた一人と引換えに捨ててしまいたい気がする』とおっしゃったものだが、いかにもあれから後はご気分がお悪いとて、どこへもいつものようにはお出歩きにならずに、御修法などといって騒いでいると聞くにつけて、今また宮がこのことをお耳にされたらどうお思いになるだろう」と考えるにつけてもほんとうに苦しいのである 「浮舟」帖)。

 冒頭の「女」という呼称は、恋愛関係にある二人が、対座している物語的な世界へと誘われる。また続いて匂宮に逢ったあの後ろめたさを「そらさへ恥づかしく恐ろしきに」と特異な表現で語られる。「天の眼までが恥ずかしく恐ろしいのに」、「そら恐ろしく恥ずかしく」などと通釈するが、これと類似の表現があの女三宮と柏木の密通が語られる、三十五帖「若菜下」に見える。その後、二人の密通の果ての証拠の手紙が源氏の手に入る。その事実を知らされた柏木の驚愕した気持ちを述べた箇所(若菜下)に、

 「いとあさましく、いつのほどにさる事出で来(き)けむ、……空に目つきたるやうにおぼえしを」
(いったいいつの間にそんなことがおこったのだろう。こうした長く続いていればしぜんとまわりからでも人に知られるようなこともありはすまいか、と考えただけでも、まったく気おくれがして、天の眼までも恥ずかしくて…)とある。この表現について、戦国・安土桃山時代の関白九条植通が著した「源氏物語」の注釈書の「孟津抄(もうしんしょう)」にも記され、「天の眼」は「隠し切れないもの」という考えがあったことがわかる。このような独特な表現に注目したいものである。