古典に学ぶ(141)
 日本最高峰の物語文学『源氏物語』の世界を繙く
─ 「病」と「死」を物語はどう描いたか㉕ 浮舟の独白① ─
                       実川恵子

 浮舟は、思い悩んだ末に自分には出家しかないと考え至る。次に引用するのは、少々長いが、その独白のくだりである(「手習帖」)。

 昔よりのことを、まどろまれぬままに、常よりも思ひつづくるに、いと心憂く、「親と聞こえけん人の御容貌も見たてまつらず、遥かなる東(あづま)国をかへるがへる年月をゆきて、たまさかにたづね寄りて、うれし頼もしと思ひきこえしはらからの御あたりも思はずにて絶えすぎ、さる方に思ひさだめたまへりし人につけて、やうやう身のうさをも慰めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば、宮をすこしもあはれと思ひきこえけん心ぞいとけしからぬ。ただ、この人の御ゆかりにさすらへぬるぞ、と思へば、小島(こじま)の色を例(ためし)に契りたまひしを、などてをかしと思ひきこえけん」と、こよなく飽きにたる心地す。はじめより、薄きながらものどやかにものしたまひし人は、このをりかのをりなど、思ひ出づるぞこよなかりける。かくてこそありけれと聞きつけられたてまつらむ恥づかしさは、人よりまさりぬべし。さすがに、この世には、ありし御さまを、よそながらだに、いつかは見んずる、とうち思ふ。なほわろの心や、かくだに思はじ、など心ひとつをかへさふ。

 (浮舟は、まんじりともせぬままに、昔からのことをいつもより以上に思い続けていると、我が身がほんとに情けなくなってきて、「父と申しあげたお方のお顔も拝見したこともなく、遠く離れた東国に幾年月を過ごして、たまたまお傍に伺って、嬉しい、頼もしいと存じあげたお姉さまのお傍も、意外なことでお別れし、一生面倒をみてやろうとおっしゃって下さった方を便りにして、身の不幸を紛らすこともできようという時に、あさましくも過ちをしでかしたこの身を考え続けてゆくと、宮さまをほんの少しでもお慕いする気になったわが心こそまことにけしからぬ。まったくあの方のおかげで、住む所もなくしたのだ。そう思うと橘の小島の緑を変わらぬ誓いとなさったのを、どうして嬉しいと思ったりしたのだろう」と、もうもうすっかり嫌気がさしてくる。はじめから、熱情は見せぬながら、落ち着いたお心でいらした方は、あの時はああなさり、この時はこうだったなどと思い出すにつけて、格別に優れていらっしゃるのであった。こうしてまだ生きながらえていたのだとお耳に入りでもしたら、その時の恥ずかしさは他の誰に聞きつけられるよりもたまらないことであろう。そう思いながらそれでも、「この世で、昔ながらのお姿をせめてよそながらでもいつかまた拝見できる時があるだろう」と、ふと思ったりするのを、「しかしやはり間違った心なのだ。もうこんなことさえ考えてはなるまい」などと、ただひとり心の中で思い直している)。

 浮舟は、情熱をはばからず注いでくれた匂宮に心惹かれるが、それでは自分を見出し、静かな薫を裏切り、永遠に離れ去ってしまってよいであろうか。また、いつまで匂宮が、自分のような者を愛し続けてくれるだろうか。そうは思うものの、匂宮のあの激しい情熱にどうしても引き寄せられてしまうのである。
 浮舟はこの二人の間を彷徨い、心弱くも投身自殺の覚悟を決めた。目の前の宇治川に身を投げてしまおうとする。普通の貴族の女性ならこんな荒々しい極端な手段は取らない。もっと思慮ぶかく振る舞うであろう。それは、彼女の身分と教養の低さによるのか。二人の重い身分の貴公子と情熱、そして自分のなかの本能、そのいずれにもまるで波に漂う浮き舟のように彼女は翻弄されてしまうのであった。