古典に学ぶ (142)
日本最高峰の物語文学『源氏物語』の世界を繙く
─ 「病」と「死」を物語はどう描いたか㉖ 浮舟の独白と出家② ─
実川恵子
前回、引用した浮舟の長い独白の一節は、『源氏物語』の特徴の一つといえる。それは、「源
氏物語」の文章を作者が叙述する部分である地(じ)と、作中人物の話す言葉、詞(ことば)とに分
けるとすると、この心の部分が甚だしく多く、物語中で人物が行動し言語化する前後に、うねう
ねとものを思うのである。そしていつしかそれが、地の文に融合していくようなことも少なくな
い。この一節もそうである。その時の人物の意識の流れや蘇ってくる記憶を感じ取ることもでき
、なかなか巧みな手法である。
ついに浮舟は入水自殺を選んだ。入水は浮舟の「人形」性を完成する道であり、女房は浮舟の
失踪について大海原に消えたのだろうと言ったが、それが「人形」の行き着く先であった。
物語の構想として浮舟は薫・中君・匂宮という三角関係の中君の位置に代入されて、もともと
中君に負わされていた悲劇を引き受けたといえるが、それだけでなく浮舟は彼らの葛藤や確執を
一身に背負わされた「人形」として生かされ、死を選んだのである。
入水自殺して失踪した浮舟は死んだのではなかった。宇治院の裏庭の大木の根本に倒れていた
ところを横川僧都に助けられたのであった。僧都は高徳の僧で山籠もりをしていたが、母尼と妹
尼が長谷寺に参詣した帰途、母尼が発病し加持のため下山した折、瀕死の浮舟を発見したのであ
る。
母尼の回復を待って、浮舟は比叡山の麓にある母尼と妹尼の住む庵に伴われた。妹尼は浮舟を
先年亡くした娘の身代わりに長谷観音が授けてくれたのだと喜び、必死で看病するのだった。浮
舟は意識不明の状態で生死の境をさまよったが、妹尼が僧都に懇願して加持をしたところ物の怪
が調伏されて、意識を回復した。
意識を回復したとはいえ、周りにいるのはかつて見たことのない老法師たちであり、見知らぬ
国に来たようで、自分がどうしてここにいるのか、どこに住んでいたのか、名前すら思い出せな
かった。次第に思い出したのは、自分が身を投げようとしたこと、皆が寝たあと当てもなくさま
よい出て、中途半端な気持ちで帰るわけにも行かずじっと座っていた折に、匂宮と思われる男に
抱かれたが、男は自分を置いて姿を消してしまったというようなことであった。
この匂宮と思われる男に抱かれたという幻覚は浮舟にとって最も願わしい死にかたを暗示して
いたとも思われる。匂宮に誘われて死ぬこと、彼との情死が願われていたのかもしれない。この
背景に匂宮が浮舟にどこに隠れようとも必ず探し出して一緒に死のうと言った言葉と呼応するか。
こうして正気に返った浮舟は妹尼に出家させてほしいと訴えた。妹尼は浮舟の世話をしつつ、
亡くなった娘の婿である中将と結婚させたいと思う。中将はあたかも薫のようで、道心があり、
誠実で浮舟に求婚するのだった。
浮舟を亡き娘の形見といって慈しむ母のような妹尼は、長谷観音へのお礼参りと祈願のため
浮舟を誘った。浮舟も昔母や乳母が長谷観音に連れて行ってくれたことを思い出すのであった。
浮舟の前にはかつての現実が再現されるかのようであった。それはかっての「人形」と変わらな
い人生を与えられようとしたが、浮舟は過去を対象化し、過去との自覚的な別れを決心した。
過去に訣別しようとする浮舟は、妹尼の留守中に横川僧都が下山する途中、小野に立ち寄った
時、僧都に必死に出家を頼みそれを叶えた。
亡きものに身をも人をも思ひつつ棄ててし世をぞさらに棄てつる
限りぞと思ひなりにし世の中をかへすがへすもそむきぬるかな (手習)
わが身も人も亡くなったものとして棄てた世をさらに棄ててしまった。もうこれまでだと諦め
た世の中をまた繰り返し棄てたことだ。出家した浮舟が手習として書きつけた歌である。
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