古典に学ぶ(145)
 日本最高峰の物語文学『源氏物語』の世界を繙く
─ 「病」と「死」を物語はどう描いたか㉙ 柏木の死が拓くもの① ─
                                                               実川恵子

 『源氏物語』第二部後半の36巻、柏木(「古典に学ぶ」105参照)巻とそれ以降の巻には死やこの世というものを見つめる、これまでの物語にはなかったような眼差しが散見する。特に「柏木」巻には「よろづのこと、いまはのとぢめには、みな消えぬべきわざなり」(どのようなことでも、臨終の際にはすべてのことが消えてしまうものなのだ)とあるように、これまでの物語にはない、死という境界を厳しく意識したもの言いがなされ、また、38巻、鈴虫には「物のあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを」(あの世のことまで考えもいたしませんでしたとは、なんとあさはかなことでございましょう)とあり、母故六条御息所の業苦を思いやった秋好中宮が、「物のあなた」と死の向こう側を思って出家を志す、自己の思いを語った台詞の一部分である。また、同じ鈴虫巻の中秋十五夜に、源氏が女三宮の傍らで故柏木のことを思いながら、「わが世の外(ほか)」へと思いを寄せている場面がある。死という壁を隔てたその向こう側の世界を意識しながら、いかにこの世を生きていくかを思い悩む人々の姿が繰り返し語られる。
 死という問題は第一部以上にこのあたりの巻々に切迫感を伴って表されるようになり、また出家という問題も切実味を帯びてくるように思われる。また、世を去りゆく柏木が、女三宮からの最初で最後の文を、「この世の思ひ出」と、この世の外側から眺めるような視点で愛しんでいる。いつか去るべき世界として、「この世」というものが、来世とは異なる孤立した世界、独特な存在感を持つ世界として表れてくる。

(女三宮)「立ちそひて消えやしなましうきことを思ひみだるる煙くらべに後るべうやは」とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。
(柏木)「いでや、この煙ばかりこそはこの世の思ひ出ならめ。はかなくもありけるかな」と、いとど泣きまさりたまひて、…
(「できることなら、あなたの燃える煙に立ちそっていっしょに消えてしまいたいくらいです。私のつらいもの思いの火に乱れる煙―悩みは、あなたのとどちらが激しいかを比べるために」。「ああまったく、この『煙』とのお言葉だけが、この世に生きた思い出というものであろう。思えばはかないことではあった」とひときわ激しくお泣きになって…)

とあり、すぐそこに柏木の死が控えている場面だけに、この柏木のことばは、死の間際にある者による、まさに去りゆかねばならないこの世への哀切なことばとして響いてくるのである。この後、たった一つの「この世の思ひ出」を得た柏木は燃え尽き、生きることにも拘泥しなくなってしまったと思われる。ただ、見えない煙とも霊ともなってただただ女三宮のそばにいようと願うのである。
 女三宮への愛情だけは残りつづけているのである。そして、もう「この世」を去りゆかなければならないことを覚悟した柏木の視点から語られ続けられる。「この世」を「別れ」て、別のどこか異世界へと「急ぎ立つ」かのような感覚から、この世への思いがこまごまと語られていく。こうしたところにもじっくり注目したいものである。
 この柏木の死という衝撃は、源氏や夕霧という他の人物たちの心中思惟にも及び、それぞれに新たな視点から「この世」を眺めることを要請しているかのようにも語られていくのである。