はいかい万華鏡(10)
─ 関心領域 ─
                                             蟇目良雨 

 転校してすぐに遭ったいじめも解決して気楽に通学を始めることが出来たが、「いじめ」は異質な物への興味が昂じて恐怖に変化しそれを封じ込めようとする人間だけの本能からくる所作なのであろうか。
 人種間の差別、思想を介在しての差別、階級間での差別など原因となるものはそこらじゅうに転がっている。長じて参加した東京の住民としての商店街活動などで、そこに生れ付いた人間から余所者として見られ理不尽な差別を受けたことがある。人間とは人の上に人を作り人の下に人を作る動物だということを味わった。俳句の世界には差別の無い事を願うばかりだ。

 小学校六年生の時の大きな思い出を書いておく。
 夏休みに入る前に新発田市の西に面した日本海の藤塚浜という村の寺を借りて臨海学校が開かれた。この年はどうしたことか雨が降り続きほぼ毎日海に入れなかった。終って帰宅した私を父は可哀そうに思ったのか、その後好天続きになったある日に同じ浜に連れて行って遊ばせてくれた。なんとか50メートル位は泳げる私は、すぐ近くの沖に人が立っているのを見て泳ぎ出したのだが幾ら泳いでもそこに辿り着かない。離岸流のせいだ。溺れかかった私を父は必死になって助けたが、見れば他にも救助を求めている人がいた。もしかしたら父も私も死んでいたかも知れない。

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 「関心領域」という映画を見た。アウシュビッツ収容所長アドルフ・ヘスと家族の物語だ。「かの」収容所に赴任したヘスが上から命じられたことを淡々とこなす仕事ぶりと、妻とその子供達が収容所と壁を一枚隔てた静かな空間での日常生活が美しく静かに描かれていて始めのうちは何の物語か分からない。しかし美しい庭園で草花や小さな生き物を可愛がる日常の領域の直ぐ隣の、塀に囲まれた内側では巨大な煙突から煙が絶え間なく立ち上っているのが不気味だ。
 物語が動くのはヘスが更に上の組織に移動する命令が下ったにも関わらず、妻は今までの優雅な生活から離れられなくなってヘスに「そこ」にいつまでも住み続けたいと懇願して認められた時からだ。ヘスの立案と遂行能力が上層部に認められてアウシュビッツ収容所が一大殺人工場になるのである。それまでは死者を一体ずつ焼却していたのだが、数百人を一度に毒ガスで殺し、その区画の人達を一度に焼却できる工場を建設した。映画には残酷な場面は出てこない。時代が移り、現代のアウシュビッツの記念館の中に展示された死者たちが残した靴の山が延々と映し出されることで計画の実行と悲劇の大きさが暗示される。
 私達にも他人の不幸を見て見ぬふりをして生きている「無関心領域」があることを思い知らされる。