はいかい万華鏡(17)
─芭蕉を楽しむ ─
                                             蟇目良雨 

 東京での浪人生活は姉と同居することから始まったので生活の苦労はなかった。姉2人がW大学とN女子大に入って共同生活をしていたので、西武池袋線沼袋にあったその下宿に転がり込めばよかったからであった。予備校はお茶の水にあるS予備校午前部理科Cクラスに通った。生れて初めての予備校だった。都内有名高校卒の面々が前列を独占していたのには驚かされた。
 午前部理科はAからDまで4クラスあり成績順に割り当てられた。理科は午後部もあり、私は辛うじて午前部を維持したが終了の時はDクラスに落ちていた。英数国は良かったのだが、前年日本史を失敗したので世界史に変更して勉強した積りであったが、翌年の入学試験でこの世界史が解けなくてT大にまた合格出来なかった。この時は目の前が真っ暗になって身動きが出来なくなったほどである。幸いW大学の理工学部と政治経済学部に合格したが、世界史失敗のショックを引きずった私はこの合格発表を見に行く勇気が出なくて、姉に代りに見に行って貰った。理工学部電気工学科を選んで私の学園生活が始まった。
 私は受験地獄を味わった積りであるが、既に新聞社を退職していた父が、3人の子を東京に送り出してどれだけ借金を重ねたかを知らなかった。父母の苦労を今になって思うのである。
 師範学校卒の資格で新聞社に勤めて味わった悲哀を子供に味って貰いたくない父の一念が借金の苦労をものともしなかったのだと思った。入学式で撮った笑顔の父との写真を見てそう確信した。私の浪人生活の間、父は好きな煙草を断っていた。

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芭蕉を楽しむ
 最近とあるところで講演を頼まれた。高野素十に関してなら少しは喋れると思うのだが特殊なことに触れるので、他の題材を探し、結局「芭蕉を楽しむ」と題して50分の講演を行った。
 私は芭蕉研究家でもないので、新たな文献を元に話すことなど出来ないから、普段私たちが疑問に思うことをぶつけても案外話の種になるのではと思いついたのである。
 口切は「奥の細道」画巻であった。私は今から20年前に蕪村筆画「奥の細道」画巻を模写したことがあり模写の楽しさに触れた。何故蕪村が画巻を10部以上も描き上げたのか。これは芭蕉を慕い京都金福寺に芭蕉庵を建立する資金集めのために蕪村が一生懸命描き上げたものであると、蕪村の偉大さに触れた。
 次に、芭蕉、蕪村、一茶と江戸を代表する俳人たちが江戸市中でどんな待遇を受けていたかを比較した。一茶は「盗人呼ばわり」をされ、蕪村は師が亡くなった後、路頭に迷ったのに比べ、芭蕉のみ初めから恵まれて目抜き通り近くに住み続けたと説明した。
 芭蕉の深川隠棲が「侘び寂び」の世界を齎し、その結実が〈古池や蛙とびこむ水の音〉であるとするなら、深川隠棲後6年もかかってやっとこの句が出来た遅さをどう説明するのかという疑問には、徳川綱吉の将軍就任問題を絡ませると謎が解消すると提案した。武家社会に身を縛られる芭蕉の身分や、寿貞が妻かそうでないかとかの謎など、芭蕉はどこをとってもまだまだ楽しめることを提案して講演は無事終了したのだった。