はいかい万華鏡(18)
─物価高の中の再開発 ─
                                             蟇目良雨 

 きょうだいの中で弟の私はとても楽をしていると感じた。浪人生ということもあって家事はやらされたことが無かった。今思えば感謝しなければならないだろうが、当時は当たり前のように有難さを享受していた。江古田の薄暗い下宿はその内に中野区の大和町へ移った。こちらは2階建ての2階で明るい家であった。大家さんは1階で踊を教えているお師匠さんであった。三味線の音が少し気になった記憶がある。大和町は閑静な住宅街であったが、西武池袋線の野方駅に出るにしても中央線の高円寺駅に出るにしても10数分かかったので足の弱い私には便利な町とは言えなかった。
 この時代は1964年東京オリンピック開催準備のために高速道路や幹線道路工事が大掛かりで進められていた。江戸時代からあった堀を埋め立てて首都高速道を走らせた。日本橋の上を高速道路が走るようになったのもこの時である。あれから60年経った今、昔の景観を取り戻そうと日本橋の上の高速道路を地中化する計画が進んでいる。
 踊のお師匠さんの家から間もなく出て、一軒家に移った。ここは母の弟が使っていた家であったが、東京オリンピックの際に開通した環状7号線のために土地が半分接収されて、残った土地に2Kの小さな家を建てたものを僕たちきょうだいに貸してくれたのだった。生垣に小さな木戸があり裏庭も付いている瀟洒な家であった。この叔父は姉思いで、私の母が貧乏していたことに目をつぶっていられなかったのである。

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物価高の中の再開発

 8月29日は盤水忌。盤水忌といえば例年大変な暑さを経験する。9月1日も並大抵でない暑さになった。1923年の関東大震災に因んだ震災記念日に当り全国で様々な防災訓練が行われた。日本はその後の数々の震災から得た教訓で災害に強いまちづくりを目指すことになる。東京を大改造した後藤新平の偉業を先ず思い浮かべる。私の経営する共同ビルも築50年を越えたので地域ぐるみの再開発の途上にある。しかし中野サンプラザの再開発計画が建築費の上昇で振出しに戻ってしまったように私たちの計画も資金計画が暗礁に乗り上げている。
 江戸末期の混乱をNHKTVドラマ「べらぼう」が描いているが、米不足や河川の氾濫などから物価高騰はあったことだろうし庶民の生活は勿論、武士階級にも困窮は及んだはずだ。
 蕪村はこの頃京都に居て金福寺に芭蕉庵を建立する資金集めのために「奥の細道」画巻を10部以上(現存が10部)描き上げて建築資金に充てた。予算が膨れ上がり、物価高騰のために建築資金が不足して追加で何本も画巻を描き続けたのでないかと心配してしまう。蕪村は大変温厚な人だから試練に耐えてコツコツと描き続けたことだろう。
 震災で家が潰され、津波で家が流され、出水で町が泥に漬かっても町を捨てることもしないで黙々と回復してきた日本人。四季の美しく人情に篤い国だから大切に守り続けて来た。これからも自分たちの手で大切に守り続けてゆきたい。