はいかい万華鏡(6)
─ 老女パワー ─
                                             蟇目良雨 

 川越には3年間住んでいた。小学校3.4.5年生の間だ。3年生の時にはマッカーサー元帥は解任され米国へ帰国していた。解任は中国に原爆を落として朝鮮戦争を勝利に導こうとしてトルーマンから反対されたためだ。5年生の時に朝鮮戦争は休戦になり38度線の休戦ラインが引かれた。あれから71年間も休戦のままである。この戦争中に日本国内のアメリカ駐留軍は挙げて朝鮮戦争に関わったので日本国内の安全を保つために警察予備隊が創設されやがて自衛隊となった。日本は朝鮮戦争の特需で経済を持ち直し、右肩上がりに裕福になったそうだが、我が家では相変わらず麦飯を食っていた。それでも、戦争で無くなってしまった動物園の代りに移動動物園が全国を巡業し、祭の時期になると寺の境内にサーカス小屋が建った。親からお小遣いを貰って見る余裕が出て来た。
 遊びはべーごま・メンコだがお金のかからない釘打ちも人気があった。裏庭にある共同井戸に西瓜や冷や麦を吊るし、サイダーなども水で冷やした程度だったので、冷蔵庫で冷やされたサイダーを呑んだ時の美味さは今でも覚えている。
 新聞記者の父のところには大事件が起こると東京本社から伝書バトが届けられて写真のネガなどを運んだ。ファックスなど無かった時代ならではの話である。その鳩を運んで来たサイドカーに乗せて貰ったことも少年の夢をくすぐった。子供心ながら父の仕事の内容が少し分かった気がした。

          ※

 ネットで古い映画や珍しい映画を探して観るのが楽しみである。過日アマゾンプライムで「人生いろどり」を観た。2012年制作の町興し映画であるから大都市の劇場にかからなかったようだ。徳島県上勝町という山間僻地の老女による村興しの物語である。山間僻地にあるために斜面だらけの農地から採れる野菜は種類が限られている。そして収穫出来たとしても安値で買い叩かれるものばかりだ。林業も輸入材に押されて不振。農家の主婦は片隅に追いやられるばかりである。そこに余所者である農協の若い職員と農家の老女たちが知恵を絞って料理の褄用に「葉っぱ」を売ることを考え出した。
 私も料亭を経営していたので分かるが、刺身には海藻や大根の褄を添えるのであるがこれらは食べられる褄で、飾り用の葉っぱが和食のみならず洋食にも用いられるようになったのはそれほど古いことではない。食べられないが料理の見栄えを高める為に価値が付いたのだ。始めは農家の主婦たちの小遣い程度であったものが流通ルートを確立してからは立派な産業になった。老女たちはパソコンを使いこなし、市況をネットで確認したり売り上げを集計したりする技術を身に付けた。
 私が感心したのは、目標に向かって進む熱意と必要なスキルはパソコンでさえ習得してしまうことである。孤立した集落に住むときに必要なツールである。俳句も紙と鉛筆さえあればやり続けることが出来るが、ネットを使いこなす技術があれば鬼に金棒であるということを実感できるから言い続けるのである。白身魚の塩焼きに真っ赤な紅葉の葉が添えられる季節になった。