はいかい万華鏡(7)
─ 卑弥呼の墓? ─
                                             蟇目良雨 

 劣等生だった幼少期から抜け出して普通の小学生にして貰った感があった川越での小学三年間だった。四年生の時に皆勤賞を、五年生の時に努力賞を貰った。一番上は優秀賞があったがまだ手が届かなかった。しかし生れて初めての賞状なので単純に嬉しく、両親も喜んでくれた。
 私が理科好きになったのもこの時期だ。学校でやったことを家でも実験したくなり、乾電池の黒鉛を芯にして電線を巻き付けたものを二つ用意して家の電気コンセントに差し込んで、アークが飛んで実験は成功したがヒューズを飛ばしてしまい家中が停電になって叱られたこともある。もう一つ模型飛行機作りにも夢中になった。真直ぐな竹ヒゴを火で焙って翼端のカーブを上手く作れた時は嬉しかったものだ。ゴム動力の飛行機だが校舎の屋根よりも高く飛び校庭の大きなエゾ松に引っ掛かったときは苦労して登って取り戻したりした。
 自転車は大人用しか無かったので、車輪と車輪を繫ぐ三角形を為すフレームの間に片足を入れてペダルを漕ぐ「三角乗り」に子供たちは挑戦した。誰が考え出したのか知らないが姉も妹もこうして遊んでいた。今にして思えば、何もないところから子供たちは様々な工夫をして遊びをさらに楽しむことを考え出していたものだ。
 川越に慣れ親しんだ頃、六年生に進級する前に新潟の下越地方にある新発田の外ヶ輪小学校へ転校した。愛犬マリと一緒に。

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 八十二歳の老体を引っ提げて大学の同期会に参加した。理工学系の大学だったので変わり者は少ないがクラシックカメラの会を主宰する友が、近々箸墓古墳を撮りに行くと言う話に皆盛り上がった。科学知識の吸収には旺盛な仲間だけあって、木材の年代特定から宇宙線のミューオンを使った内部透視など最新技術をもってすればもう殆ど卑弥呼の墓に間違いないと卑弥呼畿内説が確定したかのような雰囲気だった。
 卑弥呼がシャーマンだけの指導者でなかったことが共通認識になっている現代において、卑弥呼の時代から現代まで日本が外国から侵略されずに二千年近く独立を保っていることに、女性の力が随所に幾度も発揮されてきたことを認識すべき時が来たのではないかと思うのである。
 国民主権を謳う私たちの日本憲法がマッカーサー指揮するGHQに依って作られたことを嫌がる人もいるが、良いものは良いと私は尊重している。NHK朝ドラ『虎に翼』(脚本・吉田恵里香)で描かれた三淵嘉子の、法を庶民のためにする努力に頭が下がるのは私だけではあるまい。
 同じく大河ドラマ『光る君へ』(脚本・大石静)も道長と紫式部の恋なんてある筈が無いと言う人もいるが、無いという証拠も無い。真実は全てベールに包まれている。恋があったという前提でドラマを見ると全てが生き生きしてくるから不思議だ。
 秋の夜長をドラマを見て過ごせる平和な日本に乾杯だ。