はいかい万華鏡(8)
─ 涙すること ─
                                             蟇目良雨 

川越に3年間慣れ親しんだ後、突然転校することになった。行き先は新潟県新発田市。私は東松山市で生まれたので雪国は初めてであった。上越線が清水トンネルのループを潜って新潟に入るとそこは正に雪国であった。
 此の頃は、転勤の辞令は1か月くらい前に突然出るようであった。それも3月の異動である。学友と別れを告げる暇もなく親しい人のみの見送りを受けての旅立ちである。佐久間旅館の女将さんと娘さん、日大歯学部学生の石井一さんが上野駅迄見送りに来てくれた。日本通運に引越しの荷を発送してもらい、家族は身の回りの物をチッキと言って手荷物扱いで同じ列車に積み込んでもらった。犬のマリも箱に荷づくりされて送られた。
 新発田に着いた日は3月の末で霙の降る日であった。朝日新聞新発田通信部の寒い宿舎に入って子供たちは驚いた。部屋のどこにも電球が付いていないのである。暗い、寒い部屋の中で抱き合って泣いた。当時、電球は個人のもので転勤に際して外して持ってゆくのが当たり前の時代だったのである。近所の電気店で電球を買って灯して、駅から運んで来た蒲団を敷いてその夜は家族7人と犬1匹で過ごした。もの心が付き始めた時だったからこの光景は今でも鮮明に覚えている。
 この時長姉は知恵遅れのため小学校で終わって学校に行く必要は無かったが、上から高校1年、中学2年、私が小学6年、末が小学4年に編入した。母が手続きを全てやってくれたのだろう。母には辛い雪国での生活が始まった。
 2024年ノーベル平和賞受賞ニュースをテレビ番組で見て思わず涙がこぼれた。何に対して涙がこぼれたのだろうか。
 受賞者は「日本被団協」(日本原水爆被害者団体協議会)。ウクライナ戦争でのロシアの横暴、ガザでのイスラエルの狂気の破壊を当たり前のように見る毎日。最終的に核爆弾を投下して戦争を終わらせるぞと威すロシアやイスラエルは、本当に、原爆が落とされた人々の惨状を知っているのかと問う絶好のタイミングに感動して涙を落したのかも知れない。
 日本被団協の活動は広島・長崎の原爆投下の惨状を風化させることなく後世に伝える目的で被爆市民等が維持している団体で、申し訳ないが普段は気に留めたことは無い。恐らく殆どの人がノーベル平和賞を取るとは考えていなかっただろう。そんなか弱い団体の運動を見つけ出して平和賞を与えたノーベル賞の懐の深さに感動して涙したのかもしれない。
 翌日、いろいろ調べると再び感動することになった。それはノルウエーノーベル委員会委員長フリドネス氏が若干39歳という若さだということを知ったからである。「メモリーマター」(記憶が重要)という国際的組織に参加して記憶の保存・継承の大切さを認識している人だ。彼の一存で平和賞を決定したわけでもなく委員会全員の合意の結果である。北欧の小国であるノルウェーに任された平和賞の選定。「人類に最も大きな利益をもたらす努力を称える」というスウェーデン人アルフレッド・ノーベルが隣国ノルウェーに平和賞の選任を任せたいきさつも奥深い。