コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
第48話 わたくし、俳号を風天と発します
子規、虚子、碧梧桐、東洋城、草田男、波郷…と著名俳人の名前を上げるとたちまち二十指を超える俳句王国、愛媛県。県都松山市に属する瀬戸内の北条鹿島は、周囲1.5キロの小島だが、句碑が島内に林立する“句碑の島 ”である。
平成25年11月、映画「男はつらいよ」の寅次郎俳優、渥美清(俳号風天)の句碑が加わり、16基になった。刻まれたのは、風天代表句〈 お遍路が一列に行く虹の中 〉
地元出身の脚本家、早坂暁さんに誘われて北条鹿島を訪れ、名物の鯛めしがすっかり気に入った渥美は、その後もたびたび島を訪れている。平成8年夏、転移性肺がんのため68歳で逝った後、私生活を明かさなかった渥美が「トリの会」「アエラ句会」「たまご句会」に風天の俳号で参加、俳句を詠んでいたことが、毎日新聞社で当欄のコラム子と同僚だった森英介のルポ『風天 渥美清のうた』(大空出版)により、広く知られるようになった。
寅さんシリーズの山田洋次監督は、句集『赤とんぼ』に寄せた序文で〈 渥美さんは物事の本質や情景を短い言葉でスパッと言い当てるのがほとんど名人芸のようだった。人間に対して、社会について的確かつ辛辣な批評の言葉を持っていた。それはまさしく俳人たる資格だったのかもしれない。〉と書く。遺句全223句を探し出した森は、第二弾の『渥美清句集 赤とんぼ』(本阿弥書店)刊行を果たした2か月後の平成21年12月、すい臓がんのため急逝した。
がばがばと音おそろしき鯉のぼり渥美風天
うつり香のままぬぎすてし浴衣かな風天
一っ杯めのために飲んでるビールかな風天
乱歩読む窓のガラスに蝸牛風天
赤とんぼじっとしたまま明日どうする風天
寅さんの映画に行けり生身魂蟇目良雨
第49話 俳句王国の句碑あれこれ
“俳句王国”と言えば愛媛県、“俳都”はもちろん正岡子規の出生地、松山市。予讃線松山駅に降り立つと、駅頭で〈春や昔十五万石の城下かな〉の大句碑が目に飛び込んでくる。目を上げれば、勝山山頂には往時を偲ぶ天守閣。
合併した旧北条市などを合わせた市内の句碑は、350基に迫る。俳句好きが自分の庭や墓所に勝手に建てたものはカウント外の数字だ。県内全域では、個人の庭先句碑まで合わせると1000基をはるかに超すと見られる。
旧北条市域の北条漁港の沖合300メートルに浮かぶ瀬戸内海の北条鹿島には、平成25年11月に建てられた寅さんこと渥美清(俳号:風天)の〈お遍路が一列に行く虹の中〉を加え、周囲1.5キロメートルの小島に16基の句碑と歌人、吉井勇の歌碑1基が点々と。ちなみにここには子規と虚子の句碑はなく、富安風生、松根東洋城、仙波花叟、山口草堂、松岡凡草、村上霽月らの句碑が並ぶ。地元旧河野村出身の花叟の句碑には〈腰折といふ名もをかし春の山〉。
予讃線北条駅から1駅松山に寄った柳原駅で降り、柳原漁港への途中にある西ノ下太子堂に建つのが高浜虚子の複合句碑で〈この松の下にたゝすめば露のわれ〉〈道の辺に阿波の遍路の墓あはれ〉の2句が刻まれている。ここは虚子が幼年時代を過ごした地で、〈道の辺に阿波の遍路の…〉の句は、家の近くの遍路道にあった行き倒れ遍路の墓の幼時記憶を詠んだ句である。
ところで子規の句は、松山市内だけで54基。地元でよく知られているのが、粟井坂大師堂にある〈涼志左や馬も海向く粟井坂〉の句碑。種田山頭火の終焉の庵「一草庵」(同市内御幸 御幸寺境内)には、〈鐵鉢の中へも霰〉など4つの句碑。瀬戸内海に浮かぶ松山市域の中島の吉木には、東洋城に師事した松永鬼子坊の〈この島へ起き来る潮や初日影〉の句碑。
珍しいものでは伊予鉄松山市駅前に砥部焼で知られる砥部町出身の新劇の名優、井上正夫が詠んだ〈南無三宝七十歳にはやとなり〉の句碑がある。
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