コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(130)新興俳句、何が新しかったのか ⑤
高浜虚子が主宰する「ホトトギス」の4Sの一人、水原秋櫻子が自誌「馬酔木」(昭和6年10月号)に「自然の真と文芸上の真」を搭載、「客観写生」の師に反旗を翻し、脱会。4年後の昭和10年、もう一人の4S、山口誓子も「ホトトギス」を離れ、「ホトトギス」を去る前から投句していた「馬酔木」に移る。
その3年前、誓子は第一句集「凍港」を上梓、師の虚子は序文で弟子、誓子の前途の活躍に期待を込めて俳句の「征虜大将軍」と呼び、嘱望の大なることを記した。ちなみに征虜大将軍(とうぎゃくだいしょうぐん)とは、〈 中国の官位で、征虜とは「虜を征す」を意味する。虜とは敵、特に異民族を指す。三国時代には全ての国に設置され、著名な武将では張飛が任命された。〉(『三国志全人名事典』徳間書店刊より)
ここで新興俳句関連の力作本『新興俳人の群像 「京大俳句」の光と影』(田島和生著 思文閣出版刊)から引く。
〈 力強い仲間を迎えた秋櫻子は喜びを隠せず、「馬酔木」に、誓子選の雑詠欄「深青集」を新設する。この結果、若い人たちを中心に投句も急増する。
こうして、新興俳句運動は「馬酔木」を柱に、全国的に大きな広がりを見せる。やがて、昭和9年代、「ホトトギス」同人の吉岡禅寺洞らが無季俳句容認論を展開するにつれ、新興俳句運動は有季、無季定型の二大潮流となる。これに、無季自由律派が加わる。〉
著者の田島は書く。〈 秋櫻子、誓子らは有季定型を固持し、「京大俳句」は無季俳句を認め、新興俳句運動の先頭を走る。昭和9年3月、改造社から総合俳誌「俳句研究」が創刊され、「ホトトギス」などと同列に新興俳句を取り上げたため、俳句革新運動にも弾みがつき、新たな豊饒の時代を迎える。〉と。田島本のサブタイトル〈「京大俳句」の光と影 〉のまさに新興俳句運動の光の時期だった。そして、光の期間は余りにも短かった。
日本は悲惨な戦争の時代へと向かいつつあった。怖ろしい影が新興俳句にも魔の手を伸ばそうとしていたのだ。ここで新興俳句運動の終焉への標的となった京大俳句会について触れておく。
昭和8年1月に創刊の「京大俳句」の中心メンバーについて、田島の本から引く。
〈 京都帝大卒業の平畑静塔(医学部)、藤後左右(同)、井上白文字(哲学科)、長谷川素逝(国文科)、東京帝大からは「結核で6、7年在学」したという中村三山(法学部)、年齢は左右が25歳、素逝26歳、静塔28歳、白文字29歳。三山が一番年上といっても31歳の若さ。〉
創刊当時の「京大俳句」は、誌名に「京大」を名乗っていたが、全国各地の俳人、俳句愛好者に門戸を開いていた。「ホトトギス」など多くの俳誌のような主宰を頂点とした結社制を採らず、会員運営のリベラルな編集方針は、当時の俳壇ではほとんど例がなく、画期的だった、と田島は書く。(敬称略 次話に続く)
(131)新興俳句、何が新しかったのか⑥
「京大俳句」創刊号は昭和8年1月、発行所「京都帝大病院小児科前 名古屋会館、編集兼発行人・平畑富次郎(静塔)、刷り部数1000部でスタートした。
〈 顧問は、(俳誌)「京鹿子」新主宰の鈴鹿野風呂。「京鹿子」の指導者格だった日野草城と五十嵐播水。第一句集「凍港」を出して間もない新進気鋭の山口誓子、「馬酔木」を独立させた水原秋櫻子。いわば、俳壇の呉越同舟の指導陣を擁し、そうそうたる顔ぶれ。〉と『新興俳人の群像 「京大俳句」の光と影』の著者、田島和生は書く。
創刊号の巻頭の「宣言」は、井上白文字が筆を振るった。〈 新たに俳壇へ贈るこの京大俳句は、幾多先人の濺ぎ遺せし血潮を承けて、純真無垢なる我等が青春の脈血の、迸り出でてなせる一渓流なのである。かるが故に、苟(いやしく)も俳句国を遊行する者は、この清浄なる渓流に、全く無関心ではあり得ないであらう。(中略)我等はそのいづれの人に対しても揚言せむ。ただ希くば之を以て、永遠に俳句国の灌漑をなさんのみと。〉
創刊号は反響を呼び、1000部のほとんどを売り尽くした。
「京大俳句」創刊から7年後の昭和15年2月14日早朝、同誌会員の静塔、白文字、中山三山、波止影夫、仁智栄坊、岸風三楼ら8人が治安維持法違反で逮捕され、刷り上がったばかりの2月号も押収される。〈 五七五、十七音の短い俳句表現が、国家権力の手で弾圧されるという前代未聞の事件の幕明け 〉と田島は書く。この後、3回にわたって会員15人が検挙されたため、俳誌「京大俳句」は廃刊に追い込まれる。それは新興俳句運動の終焉を意味していた。
「新興俳句アンソロジー 何があたらしかったのか」(現代俳句協会青年部編)の関悦史の『新興俳句と弾圧』から引く。
〈 平畑静塔、秋元不死男、西東三鬼、渡辺白泉等が身に覚えのない罪状で収監され、もともと持ってもいなければ理解もしていなかった共産主義を捨てるよう強要された…。三鬼の句《 昇降機しづかに雷の夜を昇る 》が、京都府警特高課の警部補によって「雷の夜すなはち国情不安な時、昇降機すなはち共産主義思想が昂揚する」という突拍子もない無理な暗喩と決めつけられて読まれた…不条理そのもの〉
〈 つい数年前までは、また同じような過ちを繰り返すほどには、国民も愚かではないだろうと信じることができた。ところが本稿を書いている最中に「共謀罪」法が成立し、平成29年7月11日に施行されてしまった。法環境的には、弾圧された新興俳人たちよりも、現在のわれわれの方が危険にさらされているとすらいえるかもしれない。〉(『新興俳句アンソロジー』)と俳人、評論家の関悦史の言葉は重い。(敬称略)
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