コラム「はいかい漫遊漫歩」     松谷富彦

(134)致死量の月光兄の蒼全裸(あおはだか) 藤原月彦

   1970年代、80年代にかけて、第1句集『王権神授説』(75年刊)から『魔都 美貌夜行篇』(89年刊)まで6句集を世に問い、俳句界を駆け抜けた藤原月彦の『藤原月彦全句集』(六花書林)が、令和と元号が変わった2019年夏に刊行された。

 文芸ジャーナリストの酒井佐忠は、〈 いま藤原月彦の俳句を読むということは何を意味するのだろう。世紀末的都市の空気を全身で受けとめ、魔都・東京の繁栄と頽廃を俳句で表現した月彦の激しく、また絶望に満ちた言葉は、彼が俳句界から離れたいまも印象深く残されている。俳句とは何か。短詩型文学は文学たりうるのか。(全句集は)時代に共通の問いを投げかけている。〉と書き、80年代後半に刊行された第4句集『魔都 魔界創世記篇』から3句を引く。

無花果も世界も腐爛する日夜

絶交の兄弟姉妹魔都の秋

いまはなき狼にたてがみはなし 

   酒井は言う。月彦句ワールドは同句集の栞に寄せた歌人・劇作家、菊池ゆたか(裕)の見立てる〈 肉体と都市のコスモロジーが五七五の中で、あるいは句と句の間で呼応しながら他界と往還する 〉俳句世界だと。

 全句集の「あとがき」から月彦自身の言葉を引く。〈 (70~80年代)当時はこのような色合いの作品をつくっているのは私しかいなかった。もちろんBL(ボーイズラブ=男の同性愛)俳句というジャンルなどもなかった。元号で言えば昭和の末期の頃に、こんな俳句がつくられていたというアリバイとして、この本を出してもらうことになった。〉

 第1句集『王権神授説』から引く。

弾痕疼く夜々抱きあう亡兄(あに)と亡兄

降誕の夜をいもうととの指あそび

殉愛の姉は氷雨となりにけり 

   同句集後記に月彦は記す。〈夢と夢とのあわいのかそかな覚醒の刹那、狂気のように襲ってくる言葉の奔流。ぼくは、俳句形式というフレイの剣をとってたちむかい斬りむすんだ。その時飛び散った悪夢の破片こそがぼくの俳句作品なのである。とはいえ、その詩的ボルテージの半減期のはやさにわれながら呆然とせざるをえない。〉

 月彦は、高校生時代からSF少年だった。言うまでもなく現実世界とは異なる異界を描く小説分野。さらに彼は早大三年生のとき、赤尾兜子の〈 神々いつより生肉嫌う桃の花 〉〈 音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢 〉といった異様句、前衛句に魅かれ、兜子主宰の俳句結社「渦」に入会したことも、伏線になっている。

 早大第一文学部文芸学科の同級生、中島梓(栗本薫)は、月彦の第2句集『貴腐』の跋で〈 句集中から、私個人としてのフェバリットを数句あげるとするならば、私はためらわずに次の四句をあげる。〉と書く。

情人の嘘言癖貴腐葡萄園

中世の春も土星に環ありしか

獄窓に西日世界はいま悲運

十九世紀の秋舌もたぬ頭蓋骨 

  上の句を上げて、「グイン・サーガ」の作家は、〈 私は、むしろこの句集を絶賛する役を担うべきであったのは、三島由紀夫ではなかったろうか、という念にうたれるのである。〉と書き留める。  (敬称略 次話に続く)

(135)肉弾の夜ごと夜ごとの世紀末  月彦 

 俳人・藤原月彦(本名、龍一郎)の履歴に触れて置く。
  1971年、慶大法学部に入学したが、寺山修司や早大短歌会に憧れ、翌年、再受験して早大第一文学部に入学、念願の早大短歌会とワセダミステリクラブに入会。翌73年、『王権神授説』の冒頭句群「天動説」50句が「俳句研究」(高柳重信編集長)の第一回五十句競作佳作第二席に。

  翌74年、赤尾兜子主宰「渦」入会。75年、堀井春一郎編集の「季刊俳句」に「王権神授説」30句を投稿、掲載される。この投稿が深夜叢書社の齋藤慎爾の目にとまり、同年12月、同社から第1句集となる『王権神授説』刊行。

  76年、大学卒業、鎌倉書房に就職。80年、摂津幸彦、仁平勝らに誘われて同人誌「豈」に創刊同人として参加。翌81年、赤尾兜子逝去で「渦」を退会。この年、第2句集『貴腐』(深夜叢書社)刊。

  84年には第3句集『盗汗集』(端渓社)刊行。その翌年、AMラジオ局のニッポン放送に入社、プロデューサー業務に就く。転職2年後には、第4句集『魔都 魔界創世記篇』、第5句集『魔都 魔性絢爛篇』を冬青社から上梓。89年(平成元年)春、第6句集『魔都 美貌夜行篇』(冬青社)を出した後、同年9月、初歌集『夢見る頃を過ぎても』(邑書林)を藤原龍一郎の本名で刊行。これを機に短歌に軸足を移し、現在に至る。慶大から早大に入り直した初志貫徹と言えるだろう。

  句作から身を引いたわけではなく、俳句同人誌「豈」の編集長、大井恒行と2人だけになった創刊同人として龍一郎名で投句を続けており、結社「里」などでは「媚庵」の俳号で参加している。大井が俳号の由来を尋ねたところ「ボリス・ヴィアンの『日々の泡』ですよ」と答えが返ってきたという。(註:ボリス・P・ヴィアンはフランスの作家、詩人、ジャズ・トランぺッター。「日々の泡」「北京の秋」など前衛的な作風の小説で知られる。1959年、39歳で没。)

   龍一郎名の「豈」の投句から2句を引く。

春雷やたいめいけんのオムライス

一箱の本ならべ売る根津の夏 

  歌人、龍一郎の短歌を第一歌集『藤原龍一郎歌集』(砂子屋書房)、第二歌集『続藤原龍一郎歌集』(同)から1句ずつ記す。

つきて夢つきざれば夢いまさらに夏炉冬扇を胸に抱きて

紫陽花が色を喪失する過程意味なき韻を踏み調えて