「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(142)玩亭句集『七十句 八十八句』(上)
先月号に続いて玩亭こと文化勲章作家、評論家、丸谷才一句集『七十句 八十八句』(講談社)について書く。
文人、丸谷にとって俳句とは、どんな存在だったのか。古希を記念して刊行の初句集『七十句』の「あとがき」から本人の弁を引く。
〈 人生で最初に覚えた発句は何だったらう。(註.連句を愛した丸谷は1句独立の俳句も発句と呼んだ。)生れ育った(山形県)鶴岡の町は、芭蕉が例の長旅のとき立ち寄ったことを自慢にしていて、小学生にも教へた。それでたしか二年生のとき、先生が平假名だけで黒板に書いたなかの、
語られぬ湯殿に濡らす袂かな
めづらしや山を出羽の初茄子
の2句をおもしろいと思ったのだ。
湯殿山の句は、風呂をかきまはすとき袂を押へてなくて濡れるわけだ、と考へて喜んだ。茄子の句は、、特産の小ぶりな茄子を詠んだと教はつたが、そのことには関心がなく、むしろ、出羽といふ国名を勝手にイデハに変へるご都合主義が子供ごころにもをかしかった。
初めて覚えた句が芭蕉の作といふのはちょっと威張りたくなるが、残念なことに、どちらも褒める人の少ない句である。しかしわたしとしては愛着があるし、当然、何か理屈がつけたくなる。たとへば湯殿の句はエロチックで、その気配が子供ながらも察しられたのであらう、とか、掛け詞に興味を感じたのは近代日本文学への反抗の前兆かもしれない、とか、もちろんそんなはずはない。ごく幼稚なおもしろがり方だった。…
中年にして安東流火さん(註.本名、次男、詩人、俳人、評論家)から連句の手ほどきを受け、夷齋先生(註.作家、石川淳)にねだって玩亭といふ号をつけていただき、大岡信さんを宗匠格にして歌仙に興じるやうになった。ときどき発句が口をついて出るのも自然の成行だらう。それは前衛にあらず月並にあらず、誠よりは風懐を重んじ、齷齪(あくせく)と美を求めずして滑稽に遊ぶ志のもの。巧拙はもちろん気になるが所詮は小説家の余技、あまり上手なのも如何なものかと言ひわけはかねて用意してある。まさか、最初に覚えた句が悪かったなどと言はないにしても。〉
藁しべで契るあはれの目刺かな
兄いもと違ふ解き方笹団子
ばさばさと股間につかふ扇かな
オクスフォードの旅宿で
長き夜をかたみに聞かすいびき哉
八百屋の大将が今日から福島になりますと言ふ
枝豆が枝豆が白河越えて秋深し
細道の旅に「山中や菊は手折らで湯の匂ひ」と吟じ
たまひし三百年の後その山中にて歌仙巻くとて
翁よりみな年かさや菊の宿
礼状に添へて
半ぜんは茶づけに加賀の今年米
五列目にて芝居を見て
討入やいろはにほまで雪の中
(文中敬称略 次話に続く)
(143)玩亭句集『七十句 八十八句』(下)
2012年8月、長谷川櫂(俳人)撰、和田誠(イラストレーター)装釘、宗田安正(俳人・編集者)編集で、初句集『七十句』から18年ぶりの第2句集『八十八句』の草稿が完成。玩亭丸谷才一は、短い「あとがき」を認める。
〈 七十になったとき、句集『七十句』を出したのに、八十のときは怠った。発句がたまってゐなかったせいもある。
今度『七十句』以後の作をまとめて出してもらふことにしたが、句数は題と揃へてあるわけではない。いい加減である。これも俳味と受取ってもらへると嬉しい。〉
この「あとがき」を書いてから2か月後に玩亭は亡くなる。享年87歳。句集『八十八句』が活字になったのは、1年後の2013年10月に出版された『丸谷才一全集』(全12巻 文芸春秋刊)の第12巻(選評、時評、その他)搭載でだった。その4年後の2017年に第1句集、第2句集合本の『丸谷才一 七十句 八十八句』(講談社)が日の目を見たのである。
『八十八句』から10句を紹介する。
白魚にあはせて燗をぬるうせよ
ストリップを見物して
紐のやう儚きものはバタフライ
空豆のあつあつを待つ夕ごころ
病院の豆飯うまき日もありて
地震の災害はなはだし
大鯰そねむなひがむな暴れるな
バウカー『ジェイムズ・ジョイス 新しい伝記』到来
白服のたそがれ顔やジョイス像
神鳴を怖がる座敷犬なりしとなつかしみて
犬のへそ狙ふ雷(ライ)などなきものを
掛川、吉行淳之介文学館にて
涼しさや愛されるのも一仕事
うちのミネラル・ウォーターは「月山ブナの水音」といふ銘柄
月山の水に泳げや冷奴
賀春
百名山のこらず雪となりにけ
(文中敬称略)
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