コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(62)愛妻家の自由律俳人、橋本夢道
愛妻へ貧しさを詫びる反語句〈 無禮なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 〉をタイトルにした初句集『無禮なる妻よ』が出たのは、昭和29年、夢道51歳のときだった。徳島県の小作農の子である夢道は、高等小学校卒業の大正7年、15歳で上京、深川の肥料問屋の小僧に。
20歳の同11年から荻原井泉水の自由律俳句『層雲』に投句を開始。翌12年、関東大震災で師の井泉水は家族を失い、京都に移住。層雲の先輩、種田山頭火は41歳、放浪生活に。尾崎放哉は38歳、酒癖の悪さから保険会社を首になり、満州で再起を図ったが、肺結核が悪化、京都の一燈園に入り、以後寺男として転々とする生活を始めた時期と重なる。
2年間の兵役から肥料問屋に戻った夢道は、終生の妻となる畳屋の娘、静子と出会い、一目惚れ。店は自由恋愛ご法度のため内密に結婚。昭和3年、夢道25歳、静子18歳だった。2年後に長男の道生誕生、店は首に。同人仲間の栗林一石路らと『層雲』を脱会、プロレタリア俳句誌『俳句生活』を起す。
銀座の汁粉店「月が瀬」に職を得た夢道は、蜜豆に餡を載せた餡蜜を考案、〈 蜜豆をギリシャの神は知らざりき 〉のCM句を付け、ヒット商品に。だが、昭和16年、俳句弾圧事件で2年間獄中生活を。〈 大戦起こるこの日のために獄をたまわる 〉の獄中句がある。出獄後『層雲』に復帰、戦後は現代俳句協会でも活躍。
半世紀余を経て出た新装再版句集の跋で金子兜太は〈 こんなに自由奔放な俳句をつくるおやじが東京は月島に蟠踞していると知って驚いたことを、いまでも忘れない。酒を愛し、妻静子を「クレオパトラ」と呼んでこよなく愛し、子共たちからは「俳人やくざ」と呼ばれて、71歳で大往生した。食道癌。言うまでもなく妻の句多し。〉と書き、冒頭句と次の2句を上げる。
妻と希望に近づいたように鶴を見ている
妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね
(63)悪役俳優 成田三樹夫の遺稿句集
東映ヤクザ路線映画の常連俳優として活躍した成田三樹夫が胃がんのため55歳で逝って、27年。役柄に似ない無類の読書家であり、取り分けドイツの医師で詩人、作家のハンス・カロッサの作品を愛読した。五綴りにおよぶ膨大なメモ魔であり、その中に詩、箴言、そして自由律を含む俳句も書き残す。
吉田茂の懐刀、白洲次郎の妻で辛口のエッセイスト白洲正子は、随筆集『夕顔』(新潮社刊)中の『雲になった成田三樹夫』で〈 きびきびした動作と、ドスの聞いた声で、セリフの歯切れがよく、ヤクザ映画の壺ふりの役をすると右に出るものはいなかった。何より陰影の深い顔立ちに魅力があり、無表情でいながら繊細な心理描写に長けていた。…ヤクザが専門と思っていた役者が、NHKの大河ドラマで、藤原頼長を演じた時は感心した。…刺青のお兄さんと、お公家さんでは、天と地ほどの差があるのに、彼のように品のいい立居振舞と、衣冠束帯の似合う役者は、歌舞伎の世界にも稀にしかいない。もっとも公家の中にはかなりなワルもいるのだから、案外ヤクザと共通するところも…〉と記す。
そして、遺稿句集『鯨の目』(無明舎出版刊)に触れ、〈 やはりわたしが想像していたとおりの、いや、想像した以上の人物であることを知った。〉と書き、〈 大山桜一樹を見たり見られたり〉〈 身の痛みひと息づつの夜長かな〉〈 友逝くや手の冬蠅の重さかな〉〈 寝返れば背中合わせに痛むひと〉(筆者註・いずれも「平成2年病中」の前書があり、同年4月没)の定型句、〈 ひそと動いても大音響〉〈 目が醒めて居どころがない〉〈 力が抜けて雲になっている〉の自由律句や良寛ぶりの作者の心の優しさを物語る句として〈 雀の子頭集めて宮まいり〉〈 柿喰う児柿いろの中で眼が笑い〉などを正子は上げている。
遺稿句集の題名は病中句〈 鯨の目人の目会うて巨星いず〉から採られた。逝去直前詠四句。
六千万年海は清いか鯨ども
本おけば痛みの友も本を置き
椋鳥の寝息とともに佛たち
朧夜の底をつきぬけ櫻は散るぞ
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