俳句時事(174)

作句の現場「月山登山」  棚山波朗

芭蕉が月山へ登ったのは元禄2年6月8日(陽暦7月24日)と記されている。この頃になると梅雨も上がり、夏山の気象は最も安定する。ところが『奥の細道』によると「息絶え身凍えて頂上に至れば、日没して月顕はる」とあるから、かなり悪天候だったと思われる。
私はこれまでに月山へ3度登っているが、3度とも好天に恵まれた。約100種もあると言われる 高山植物に直接触れ、頂上からの雄大な景観に見惚れるなど、夏山の醍醐味を大いに楽しむことが出来た。
月山は出羽三山の主峰で、標高1980㍍、国内最大のアスピーチ型火山で、南北になだらかな孤を描いている。
奈良朝時代、崇峻天皇の第一皇子である蜂子皇子が開山したと伝えられ、修験道の山として崇められている。毎年夏の登山シーズンになると、菅笠を被り、白装束に身をかためた信者が目立つ。
3度目の登山では、登山口から歩いて2時間ほどでようやく9合目にたどり着いた。仏生池小屋の廻りには白山風露や兎菊などが咲いていた。小屋の前に池があり山椒魚が棲んでいるという。
9合目から40分ほどで「行者返し」にさしかかる。案内板には、「修業が未熟だと羽黒山へ戻された地」とある。
鎖を伝って攀じ上る「鎖場」を過ぎると、前方に頂上が見えて来た。犂牛山とも称されるだけあって、牛の背のようになだらかである。左手には葉山が見える。
高山植物もこのあたりまで来ると低地とは種類が異なる。岩鏡や千島桔梗などが目につく。大きな岩の裾や急な斜面の陰に張り付くように咲いている。
8合目から歩き始めて4時間近くかけてようやく頂上に辿り着いた。
頂上には石垣に囲まれて月山神社が建っている。銅葺きの屋根の上には、2つの神鏡が祭られ、きらきらと輝いていた。
社務所の前には峰桜が赤い実をつけていた。2センチ伸びるのに数十年もかかるそうで、ずんぐりとして背が低い。
喜田川権宮司の御好意で、社務所の中で休憩させて頂いた。大きな鍋で温めたみそ汁を持てなされ、ほっと一息をつく。
喜田川さんは芭蕉の「不易流行」と、月山神社の建築様式の変遷について話され、深い感銘を受けた。
午後1時過ぎ、湯殿口に向けて下山を始めた。200㍍程下ったところに芭蕉の「雲の峰」の句碑が建っている。強風のためか風化が激しいようだ。
なだらかな山道が続いた後は、急な崖である。ここには鉄の梯子が架かっており、1歩ずつ踏みしめるように下る。やがて湯殿山の御神体が見えてきた。無事に下山した安堵感からか、急に疲れが出てきた。一説には芭蕉は湯殿山を参拝した後再び戻ったとあるが、その体力と精神力には驚くばかりである。