古典に学ぶ㊵ 『伊勢物語』のおもしろさを読む(28)─ 昔男と紀有常の交友⑴─
実川恵子
『伊勢物語』の中で有常の名前が出てくるのは、先に紹介した第十六段・三十八段・八十二段の三章段だけだが、名が伏せられていても有常のことではないかと思われる段は他にもある。たとえば、第四十四段は、おそらく有常のことであろうと思われる。
むかし、あがたへゆく人に、馬のはなむけせむとて、呼びて、うときしあらざりければ、家刀自(いえとうじ)さかづきさせて、女のさうぞくかづけむとす。あるじの男歌よみて裳の腰にゆひつけさす。
いでてゆく君がためにとぬぎつればわれさへもなくなりぬべきかな
「あがたへゆく」というのは、地方官になって赴任することであろう。紀有常は『古今和歌集目録』によれば、近江権少掾・讃岐介・肥後権守・信濃権守・周防権守などの地方官に任官しているようである。昔男は、「馬のはなむけ」つまり送別会をしようとその人を邸に呼んだ。その時、その人は「うとき人」ではなかったので、「家刀自」、すなわち主婦である昔男の妻に餞別の盃に酒をつがせ、引き出物として女の装束を与えることにしたとある。これはつまり、「あがたへゆく人」が昔男の妻にとって疎遠な人物ではなかったという意味なので、妻の父親である有常のことと考えると実にぴったりなのである。「あるじの男」、すなわち昔男は、歌を詠んで、贈り物にする裳の腰紐に結びつけさせた。その歌は、
ご出発されるあなたのためにと思って脱いだので、私までが喪(も)(裳)がなくなってしまいそうな気がします。
という意味で、「裳」に「喪」(不吉なこと)を掛けて、裳を手放したために自分も喪がなくなったと洒落たのである。旅の道中の安全を祈り祝う歌とされるが、裳を贈ったために「喪」がなくなったというのなら、贈られた人に「喪」がついてしまったのではないかと突っ込みを入れたくなる歌でもある。このような、ややあぶない詠みぶりも、親密な関係だからこそ許されたのかもしれない。
この一段置いた第四十六段も似たような話で、ここも昔男と有常の関係をイメージして置かれた段ではないかと思う。次に引くのが全文である。
むかし、男、いとうるはしき友ありけり。かた時さらずあひ思ひけるを、人の国へいきけるを、いとあはれと思ひて、別れにけり。
月日経ておこせたる文に、
あさましく、対面せで、月日の経にけること、忘れやしたまひけむと、いたく思ひわびてなむはべる。世の中の人の心は、
目離 (めか)るれば忘れぬべきものにこそあめれ。
といへりければ、よみてやる。
目離るとも思ほえなくに忘らるる時しなければおもかげに立つ
昔男に「いとうるはしき友」があった。ほんの少しの間も離れず思い合っていたのだけれど、地方に赴任することになったので、とても悲しく思いつつ別れた。何か月か経って寄こしてきた手紙を見ると、次のように書いてある。
「お会いできないであきれるほどの月日が経ってしまいました。もう私のことなどお忘れだろうかと、とてもひどくつらい気持ちでいます。世の中の人の心というものは、会わないで離れていると忘れてしまうはずのもののようですもの」
これに答えて、昔男は次のように返歌をした。
会えずに離れているとも私は思っていませんのに。だって、私はあなたのことが忘れられる時とてないので、いつも目の前に面影となってあなたの姿が見えているのです。
とても男同士とは思えないやりとりで、深く愛しあった男女が、男の転勤で遠距離恋愛になってしまった状況のように見える。昔男にとって、これほどの「いとうるはしき友」は、有常以外にはないのではないかという気がする。
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