自由時間 37  チャップリン博物館開館                              

                                 山﨑赤秋 

ほうの花

ほうの花


去る4月16日(チャップリン一27回目 の誕生日にあたる)、スイス・レマン湖畔の ヴヴェイに「チャップリンズ・ワールド」という名の博物館が開館した。
ヴヴェイは、IOC本部のあるローザンヌ から東へ19キロ、ジャズ・フェスティバル で有名なモントルー方面行きの急行列車で13分のところにある美しい町だ。世界最大の 食品メーカー・ネスレはここに本社を置いている。
チャップリンは、1952年にいわゆる赤 狩りでアメリカから追放された後、晩年の25年をここで暮らし、ここで死んだ(88歳)。大邸宅である。レマン湖を見下ろす 高台にあり、敷地面積は14ヘクタール、東 京ドーム4個分にあたる。テラスからは広大な庭の芝生越しに湖が見え、その向こうにア ルプスの山並みを眺めることができる。その 住居が改装され、展示館も新たに建設されて博物館になった。
マノワール(館)と呼ばれる旧住居部分で は、4番目の妻で36歳年下のウーナ(ノーベル賞受賞の劇作家ユージン・オニー ルの娘)と8人の子供たち(第8子はチャッ プリン73歳のときの子)との生活ぶりを、 居間、食堂、書斎、寝室などに足を踏み入れ て、つぶさに見ることができる。また、写真やその他の展示品の数々を観て彼の生涯をた どることができる。
スタジオと呼ばれる新築の展示館には、再現された映画スタジオや小劇場があって、 チャップリン映画の名場面のセットや映画を 観ることができる。「独裁者」の床屋、「黄金 狂時代」の断崖の山小屋などのセットがあってそのシーンを思い出さずにはいられない。
チャップリンは、1889年にロンドンで 生まれた。両親ともミュージック・ホールの 芸人だった。1歳のときに両親は離婚し、母 子家庭となる。4つ違いの異父兄シドニーも 一緒。5歳のとき、公演中に母が喉をつぶし てしまい、急きょ代役として舞台に立ち歌を 歌う。そのしぐさが面白く大喝采を博す。そ の後、母の声は回復することなく貧乏暮らし が始まる。7歳のとき、母が精神を病み、母 は病院に、兄弟は孤児院に収容される。
舞台関係の仕事をするようになったのは、 10歳のときからで、下働きや端役をこなしていたが、19歳のころから名を知られるよう になり、主役をつとめるようにもなった。
24歳のとき、アメリカ巡業中に映画プ ロデューサーの目にとまり、映画界に入る。
本格的に映画を撮り始めたのは翌年からであ るが、2作目のときに、山高帽、チョビ髭、 窮屈な上着、だぶだぶのズボン、ドタ靴、ス テッキという扮装を思いつき、以後「独裁者」までそれがトレードマークとなる。
いかに人気者になっていったか、売れる役者になっていったかはその契約金の推移を見ると明らかだ。25歳のときは、現在価値 に換算すると2000万円であったが、28歳のときにはなんと24億円になったのである。3年で120倍。
29歳で、ハリウッドに自前の撮影所を建設し、自分の好きなように映画を作れる環境を整えた。映画人なら誰もが夢見る環境だ。
そうして数々の名作を世に送り出す。チャップリンの主演・監督作品は全部で81本であるが、そのうち短編は70本、長編は11本。やはり長編に名作が多い。
独断で5作品を選ぶと、製作順に、「キッド」「黄金狂時代」「街の灯」「モダン・タイムス」「独裁者」。いずれも必見である。
「強欲が人の魂を毒し、世界を憎悪で取り囲み、不幸と流血の中にわれわれを追い立てている」これは、「独裁者」の結びの演説の1節である。公開から76年後の今も世界は何も変わっていないことが分かる。