自由時間 (65) 鼓が滝 山﨑赤秋
むかし、摂津の国に鼓が滝という名所があった。『摂津名所図会』にも「多田鼓が瀧」として絵付きで掲載されている。滝が岩肌にあたるとき鼓のような音を立てていたのでその名があったらしい。しかし、多田院(現多田神社)再興のときにその川の石が使われたり、治水工事が行われたりして滝はなくなり鼓の音も聞こえなくなった。江戸時代には、滝ではなく鮎汲みで有名になっていたようだ。いまでは、能勢電鉄の「鼓滝駅(兵庫県川西市)」にその名残りをとどめるのみである。
滝がまだ鼓を打ち鳴らしていたころの話である。若かりし西行が訪れ、松の根方に座り、一首詠もうとあれこれ思案した。そしてできたのがこれ。
「伝へ聞く鼓が滝に来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花」
まあいいか、と滝を後にして山道を歩き始めたがどうも道に迷ったらしい。日もすっかり暮れた。これは困った、野宿になるかな、と思っていたら、遠くにぽつんと灯りが見えた。こんなところに人が住んでいるとは。一晩泊めてもらえないかお願いしてみよう。
「旅の僧ですが、道に迷って難儀しております。土間の片隅で結構ですから一晩泊めていただけませんか」
「それはお困りでしょう。さあ、お入りください。どうぞ、どうぞ」とお爺さんが出てきて招き入れる。
「さあ、上って温まってください。お腹もお空きでしょう。残り物しかありませんが今用意させますので。…婆さん、お願いしますよ」
お婆さんは厨であれやこれや見繕って用意する。といってもお粥とみそ汁と香の物くらいしかないが。その様子を恐らく孫娘であろうかそばでおとなしく見ている。爺、婆、孫娘の三人暮らしのようだ。
「どうもご馳走さまでした」
「どうしてこんな山奥にいらっしゃったのですか」
「ええ、わたくしは歌の修行のためにあちらこちらを回っております。今日も鼓が滝を見て歌を詠もうと出かけてきたのです」
「そうでしたか。実はわたくしどもも下手なりに暇に飽かせて歌を楽しんでおります。よろしかったら一つお聞かせ願えませんか」
「承知いたしました。一宿一飯のお礼にもなりませんが、ではご披露いたしましょう。
〈伝へ聞く鼓が滝に来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花〉」
「なるほど、なるほど、うーん、ちょっと手直しすればもっと良くなると思われますが、よろしいでしょうか」
少しむっとして西行。
「どこをどう直せばよろしいのでしょうか」
「〈伝へ聞く〉は誰でも言えること。鼓が滝ですからここは〈音に聞く〉とすれば、鼓の音が冴えわたるように思いますがいかがでしょう」
(この爺さんなかなかやるな。〈音に聞く〉が鼓に掛かって趣きが深まったのは確かだ)
「おっしゃる通りです。恐れ入りました。手直し、ありがたく頂戴いたします」
「そうですか、それは嬉しいことで。お婆さん、客人が手直しを受けて下さるそうじゃ」
「お爺さん、それはよかったですね。でも、旅の人、あと一つ直したいところがあるんですがね」
西行また少しむっとして。
「お婆さん、まだありますか。それはどこですか」
「〈鼓が滝へ来てみれば〉は子供でも言えること。どうでしょう、〈鼓が滝を打ちみれば〉とすれば。鼓は打つもの、〈鼓〉と〈打つ〉が掛かって味わいが深くなりますでしょう」
「おっしゃる通りです。確かに味わいが深くなりました。手直し、ありがたく頂戴いたします」
「それは嬉しいことでございます。お花坊、旅のお人が婆の手直しを受けて下さるそうじゃ。ああ、嬉しや嬉しや」
「婆さま、それはよかったですね。でも、旅のお方、もう少し直せば、もっと良くなります」
西行は、こんな小娘が何を言うかと一瞬頬を赤らめましたが、ぐっと我慢して。
「どこですか」
「〈沢辺に咲きし〉は赤子でも言えること。ここは〈川(皮)辺に咲きし〉とすれば鼓と掛かってよろしいのでは。それと、滝には〈たんぽぽの花〉より〈白百合の花〉の方が似合うのでは」
「うーん、確かにおっしゃる通りだ。参りました」
(これじゃあ、元の歌で残っているのは〈鼓が滝〉だけではないか、とほほほほ。しかし、それぞれの言葉が響き合う良い歌になった)
「音に聞く鼓が滝を打ちみれば川辺に咲きし白百合の花」
と、一陣の風が吹き抜けたかと思うと、家も三人もかき消え、松の根方で居眠りをしていた西行が目を覚ました。夢であったか。思うにあの三人は和歌三神─住吉明神、玉津島明神、柿本人麻呂─が姿を変えて夢に現れ、未熟な私に教えて下さったに違いない。ありがたいことだ。なにか罰のあたるようなことをしなかっただろうか。いや、大丈夫だ。この滝は鼓だから撥は当たらない。 (落語『鼓が滝』による)
句を推敲するときの参考にして下さい。えっ、落語なんか参考になるか。まあ、そう言わず、類語辞典を繰ってもっとふさわしい言葉がないか見てみましょう。
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