韓の俳諧 (73)                           文学博士 本郷民男
─ 亞浪の第二回旅行⑦

  1935年10月22日の臼田亞浪・慶州(キョンジュ)旅行の続きです。新羅王宮跡の東側にある雁鴨池(アナプチ)と臨海殿跡を見ました。1975年からの発掘調査や建物の復元の前で、寂しい廃墟でした。今は名称を新羅時代の月池へ戻しました。次に新羅で最古級の仏塔が残っている芬皇寺(プナンサ)へ行きました。中国北部では塼(せん)つまりレンガで仏塔を作りました。石をレンガのように成形して中国の塼塔を模したので、模塼石塔と呼びます。案内の美濃部禾舶(かはく)が記念写真を写し、句も詠みました。
槻落葉靴の埃りの匂ひけり 禾舶
 それから慶州博物館へ行きました。慶州邑城という、朝鮮王朝時代の建物の転用です。
 1921年に古墳(金冠塚)から発見された金冠と、聖徳大王神鐘と呼ばれた梵鐘、どちらも新羅の至宝がありました。
金冠のゆらげば光る秋の風 亞浪
神鐘や銀杏葉降らす時響かむ 亞浪
 金冠には金の瓔珞や翡翠の勾玉が多数付き、王が歩いたり風に吹かれたりすれば、煌めきながら揺れたでしょう。金冠が盗まれて取り戻す事件があったので、銀杏の巨木の近くに爆弾でも壊れないほどの金冠庫が作られて保管されていました。神鐘は別の建物に吊られていました。博物館には、石仏や石像などもたくさんありました、博物館は後に移転しましたが、銀杏は神木として健在です。
 吐含山(トハムサン)の仏国寺(プルグクサ)へ自動車で行きました。創建が751年で、東大寺と同時期です。石釘(トルモッ)という技術を使った垂直で高い石垣の上に、主要伽藍が建っています。加藤清正軍に焼かれて当初の建物が残っていませんが、石造物が良く残っています。石垣に、青雲橋と白雲橋という、見事な2段の石橋が掛かっています。新羅では、花崗岩を木材のように自在に加工しました。仏国寺の前の仏国寺ホテルに投宿し、亞浪達は寺を見ながら籐椅子で休んでから、仏国寺を見ました。
 上には、多宝塔と釈迦塔という石塔が並んでいます。多宝塔は円形と四角形の組み合わせになるので木塔でも難しいのに、石で作った類例のない塔です。『法華経』の「見宝塔品」に依拠し、多宝塔は多宝仏、釈迦塔は釈迦仏です。両塔の後ろには、釈迦を本尊とする大雄殿が控えます。境内に仏の国がいくつもあるので仏国寺です。亞浪は青雲橋と白雲橋そして多宝塔の精妙さに感嘆しました。新羅は、量より質の時代に入っていました。
多寶塔冷たく木の葉舞ひ消ゆる 亞浪
落葉その黄いろきが橋の下風に 禾舶