韓の俳諧 (3)                           文学博士 本郷民男

─ 千代女の献上俳句(下) ─

 前回に続いて、千代女が朝鮮通信使に献上した21句の俳句を少し鑑賞します。
⑤ 鶯やこゑからすとも富士の雪
 鶯が鳴くと山の雪が解けるのに、富士山だけはいくら鶯の声がかれようとも、雪が解けないことを詠んでいます。
⑦ 吹け吹けと花によくなし鳳巾(いかのぼり)
 桜の花が咲いているのに、子供達は凧が揚がりやすいように、風よ吹け吹けとはやしています。
⑭ 稲妻のすそをぬらすや水の上
 前に述べたように、支考と初めて会った17歳の時の句です。稲妻が光ったけれども雨は降らない、しかし着物の裾が濡れたのは長く尾を引いた稲妻のためと捉えています。
⑲ 百生(ひゃくなり)やつるひと筋の心より
 百生は、一つの蔓に百も実がなるひょうたんです。一筋の心にも気持ちの持ちようで沢山の実がなるということです。

 千代女は地元では既に有名で、街道をこっそり歩きました。俳句の献上が決まって同門の既白が『千代尼句集』の編集を始めて、1764年10月に京都と江戸で刊行されました。朝鮮通信使への献上と句集の刊行により、千代女が最も有名な閨秀俳人となりました。孫順玉(ソンスンオク)著『朝鮮通信使と千代女の俳句』2003年で、韓国でも知られるようになりました。
 千代女の書画はかなり多く残っていますが、大部分が朝鮮通信使に俳句を献上した1764年以後です(『加賀の千代女真蹟集』)。そして、「朝顔に釣瓶」の句はほとんどありません。俳句の献上が千代女を著名な作家とする画期となりましたが、売れれば何でも書くというのではなく、自分で良いと思う作品を残すという作家であったと思います。

 千代女は美濃派の支考に俳諧を学びました。その前から俳諧を学んだとみられる大睡は支考の弟子です。支考の死後には、伊勢派の麦林舎乙由に師事しました。また美濃派から伊勢派に転じた希因は、金沢の人で千代女と同輩です。伊勢派の実質的な開祖の乙由も支考に学んだ俳人です。千代女は美濃派ですが、伊勢派でもありました。
 俳諧史で千代女は芭蕉等の元禄時代と、蕪村等の中興時代間の暗黒の享保時代です。享保時代に勢力があったのは江戸座、美濃・伊勢派、雑俳派です。蕪村が「画家に呉・張を画魔とす。支・麦は則ち俳魔ならくのみ。」(『蕪村全集四俳詩・俳文』173頁)と書いたように、支考や乙由は悪評され、美濃派と伊勢派は低俗と評されてきました。あおりを受け、千代女の「朝顔」の句も子規に俗だと酷評されました(岩波文庫『俳諧大要』27頁)。
 近年、堀切実と中村康之が、支考は俳魔ではなく、美濃派こそ蕉門の本流であると論著を書いています。美濃派のアイドル、千代女の復権が待たれます。