韓の俳諧 (10) 文学博士 本郷民男
─ 海外詠の先駆者 ─
海外へ旅行あるいは居住して詠んだ俳句を海外詠と云います。近現代の俳人を先駆者に充てる人もいますが、それは誤りです。普通に認められているのは、万延元年(1860)の遣米使節団の加藤素毛(そもう)です。けれども、釜山の草梁倭館に対馬藩士が滞在していたので、それから探すべきです。とはいえ、今の所は一例しかわかりません。対馬藩の中川延良(1719~1796)が著した『楽郊紀聞』に、
「弥平太、朝鮮にて詠ぜし句に、五月雨や牧の島中霧と馬」(平凡社東洋文庫『楽郊紀聞』一、75頁)
とあります。ここで、島中、霧、馬は、天正カルタのカードにある名前ということです。天正カルタは戦国の天正年間にポルトガルから伝わったトランプを日本式に変えたものです。大河ドラマ「真田丸」の15話に、真田幸村が天正カルタで抜群の記憶力を発揮したという場面があったそうです。それはともかく、弥平太こと松村弥平太は対馬藩士で、俳人というよりも狂歌の達人で、陶芸の名工でした。
対馬の陶芸を、茶人ならご承知でしょう。茶人は韓半島の茶碗を高麗茶碗として珍重しました。そこで、釜山の草梁倭館内に釜山窯を設け、御本(ごほん)茶碗を焼いては日本へ運びました。御本とは手本にしたがって作ったということで、茶人が好む仕様書により、現地の陶工が作りました。釜山窯は1718年に廃止され、その後は対馬で焼くようになり、対州(たいしゅう)窯と呼んでいます。弥平太は釜山に行って陶芸を学び、その間に戯れの句を詠んだのでしょう。
江戸時代初期には田中勝介がメキシコを往復し、支倉常長はローマへ行きましたが、彼等に俳諧の記録はないようです。幕府最初の欧米派遣は万延元年のアメリカへの派遣で、アメリカの大型軍艦で往復しました。この時に幕府の小型艦咸臨丸も警護と訓練の名目で、アメリカへ行きました。
加藤素毛(1825~1879)は、今の岐阜県下呂市の庄屋の次男でした(蒲幾美「海外俳句の草分け─加藤素毛の俳句─」『俳句』29─7)。代々、美濃派の獅子門の俳諧をたしなみました。江戸に出て伊勢平岡田平蔵に仕えました。岡田平蔵が遣米使節団の事務方に命じられ、素毛はその随行です。
横浜出港では
我国の春にこゝろの残りけり
ハワイで二月に蚊帳をつり
如月の蚊帳もひとつのはなし哉
サンフランシスコで勝海舟と
春風に船のゆくへのはなしかな
パナマで乗った蒸気機関車に
裂くる程車の音も暑さかな
ニューヨーク入口の船の多さに
算へ尽し霞み残せし船の数
獅子門は支考が芭蕉を祖として立てた現存最古の俳流で、『獅子吼』を発行しています。師系が芭蕉という伝統を誇ります。
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