韓の俳諧 (36) 文学博士 本郷民男
─ 蕉禅世界 ③ ─
大正4年(1915)の俳句雑誌『蕉禅世界』2月号の続きです。「紅雨紀行四」という風見坊玉龍の、今の北朝鮮と中国との国境の紀行文が載っています。玉龍の他に、鈴木、貴積、美山の名が出てきます。国境に聳える海抜2744㍍の白頭山から東に流れる豆満江(トゥマンガン)上流の農事洞(ノンサドン)手前で、焚火をして夕食を作り一夜を明かしました。鈴木氏が葡萄酒だと持参の酒を盃に注いだら、間違えてソースなので一同大笑いという所から始まります。
「キツネカヤは赤色に変じて、冬に急ぎつつありき、隊長口吟す。
赤心を汲めばソースも甘露かな
鈴木氏果たして之を耳にせるや否や。もしせりとせば農事洞一夜の旅寝、夢は円かに結ばるるならん。余の駄句はかうである。
葡萄酒のソースに化けし枯野哉
葡萄酒に間違へられしソース哉
右は美山氏吟ず。出発し眼を遠く南方の高嶺に放てば、雪既に降りて諸峰白皚々たり。午後3時過ぎ農事洞に着いた。夜に入りて空を仰げば、氷雲南走して荒郊に叫び、雲間を漏るゝ月影は物凄きまでに冴え返つて居る。
高台や月影凄く木殺風す
全く冬景色である。夜12時過ぎ戸外へ出づれば、木枯しの声は収まりて一天澄み渡り、豆満江の瀬のみ強く聞こゆる。白頭山はここより遠からず。川岸を距る5,6丁にして土地は高台をなせり。
高台に登りてみれば澄み渡る白頭山の秋の夜の月
10月10日。起き出でてみれば空は曇り寒気強く、ちらちらと雪降りつつあり。午前8時30分出発す。
初雪や農事の山の薄化粧 貴積
豆満江に沿ふて下る。国境大河を以て聞こえたる豆満江も、ここに到りては流れ極めて細く、到る處徒渉し得るのである。丸太を渡して対岸支那に往復しつつあり。
豆們江農事の里の丸太橋 美山」
農事洞から2日かけて茂山(ムサン)に下り、そこで一泊しました。
「茂山館てふ旅宿に投ず。朝鮮書家としてその名ある鶴笛仙史正三品池昌翰の居この地にあり。余翁と相識り義を結ぶ久し。同夜翁の来訪を受く。美山氏これに揮毫依頼の事あり。依りて共に翁の寓を訪れて意を通ず、即ち快諾してくれた。」
池昌翰(チチャンハン1851~1921)は水墨画家としても知られ、「栗蟹図」「蟹図」「鷺葦図」等を残しています。『朝鮮王朝実録』に1916年1月として、「咸鏡北道茂山郡池昌翰が書を以て金剛山紀行文を進むにより、金百円を特に賜ふなり」とあります。池昌翰は茂山郡主を務めた高官でしたが、王朝が滅んだ時に官を辞しました。最後の王であった純宗(スンジョン)が幽閉状態だったので、金剛山画文集を進上しました。そのあと池昌翰は中国の吉林省に移住して抗日運動に従事し、その地で没しました。
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