韓の俳諧 (55) 文学博士 本郷民男
─ 修行時代の日野草城⑧ ─
日野草城は、京城中学校5年生の夏休みの1917年(大正6)から俳句を始めました。父の静山や新田如水といった鉄道局の俳句グループが京城に転勤し、くれなゐ会として活動を始めたので、草城も加わりました。
くれなゐ会の句稿は、横浜で新聞記者をしていた前田普羅へ送られ、選評を受けていました。普羅は自身の経歴などを決して話さない・書かないという人で、調べるのに苦労しました。『ホトトギス』1912年(大正1)10月号104頁に、次のようにあります。
前田普羅君主幹の「青鷺」は愈々発行致され、第一號の惠送に接す。主張隱健見るべきものあり、健全の發達を望む。
これで、俳誌『青鷺』とわかりましたが、『青鷺』がどこにも残っていません。これを書いた高浜虚子の蔵書は、慶応大学メディアセンターの「虚子文庫」となっています。しかし、『青鷺』はないです。普羅は『時事新報』の記者でした。『時事新報』ならマイクロフィルムで全部読めます。けれども、『時事新報』の俳句選者は其角堂機一や荻原井泉水、短歌は窪田空穂、川柳が剣花坊という大御所揃いで、社員で新進俳人の普羅選は見つかりません。『青鷺』だけでしょう。
草城の最初期の俳句は、『ホトトギス』でかろうじて知ることができます。
1918年2月号地方俳句会
京城火曜会(京城) 田打夫報
焚火の輪に入る我に尾いて来し犬よ 橙黄子
冬服の友追うて電車線路かな 日野
1918年6月号地方俳句会
如水居小集(京城) 桐青報
連翹や鮮女馬に騎りて婚家に入る 静山
物足りなさの瞳を連翹に投げて帰り来し 草城
球根植うる庭を圍うて連翹かな 如水
草城は中学校の友人に誘われて、楠目橙黄子が指導する句会にも出ていました。芋秋という俳号でしたが、別の俳号にしようと橙黄子に相談しました。すると、「静山太古の如しというし、お父さんが静山だから太古がどうです」と橙黄子が答えました。しかし、草城は太古が気に入らず、自分で1918年の年末に、草城という号にしました。2月号の「日野」は、草城のことでしょう。
橙黄子が引いたのは宋の詩人・唐庚(1071~1121)の五言律詩「酔眠」で、「山静似太古/日長如少年…」という冒頭です。橙黄子がつけてくれた太古という名は渋すぎて、浪漫的な少年(自称)には可哀そうな気がして、うやむやにしました。草城は自分で付けた俳号です。草は野草が好きだったからです。
草城は1918年の3月に京城中学校を卒業し、3ヶ月は自宅で勉強して、6月に京都へ行きました。7月に三高を受験して合格し、9月から三高の学生となりました。6月号の新田如水邸での句会報は、くれなゐ会のものでしょう。韓国にはさほど梅がありません。春には先ず地味な黄色のサンシュユが咲き、次に華やかな黄色のレンギョウが咲きます。韓国の春は黄色の氾濫なので、連翹を席題にしたのでしょう。
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