韓の俳諧 (66)                           文学博士 本郷民男
─ 亞浪の第一回旅行⑤ ─

 臼田亞浪は1928年5月8日から京城の北へ向かいました。各地で句会が開かれましたが、煩雑なので名所旧跡の句だけ挙げてみます。
 5月9日 開城満月臺途上
青麥や晝の砧を道すがら
 5月11日 樂浪にて
ふるさとの墓おもふ路のうばらなき
 同日 平壌牡丹臺
風かをる松の山路の暮永く
 開城(ケ ソン )は高麗の古都で、満月臺(マ ヌゥルデ)壮麗な王宮がありました。建物は全く残っていませんが、基壇や礎石が残っています。樂浪は平壌あたりに漢が設けた郡の名です。郡を統治した中国人の墓が残っていて、朝鮮総督府によって発掘調査されていました。牡丹臺(モ ランデ)は大同江(テドングヮン)を見下ろす景勝地で、美しい建物が並んでいました。
5月11日夜には中国に入り、奉天(今の瀋陽)や旅順で句会を開きました。
 5月20日にはいったん京城に戻りましたが、きちんと記録が残っていません。というのは5月28日朝に亞浪の父の文次郎が危篤という電報が届き、帰郷したためです。ただし、亞浪の句には日と場所を書いてあるので、5月23日から26日には金は金剛山(クムガンサン)の観光をしたとわかります。
 5月23日 内金剛長安寺
霧の漂ひ寺門に鳴ける山蛙
 同日 明鏡臺
山鶯の聲巖の面の照りにけり
 同日 舊萬物相
霧の中峰頭空にきそひつつ
 5月24日 海金剛
からうつ木浪に吹かれて巖がしら
 同日 三日浦
石打つて鶴飛ばせけり青嵐
 同日 九龍淵
瀧の聲つつじにかよふ蝶見たり
 5月26日 叢石亭
岩鴨の岩めぐり飛ぶ風青し
 京城から鉄道と自動車を乗り継いで、内金剛の名刹の長チ安寺(チャンアンサ)に着いたのでしょう。明鏡臺(ミョンギョンデ)は山の展望台です。萬物相(マンムルサン)は、あらゆる形の奇岩怪石があるという、外金剛の名所です。そういった山岳地域を簡単に済ませ、海金剛(ヘ クムガン)に時間をかけました。三日浦(サ ミルポ)は仙人が遊んだという所で、叢石亭(チョンソクジョン)は柱状節理で六角柱の岩が海岸に林立しています。
 亞浪は名所旧跡の探訪を好みました。6月4日の父の臨終には間に合いましたが、慶州(キョンジュ)の石窟庵(ソ ックラム)に行けなくなり、次の旅の原動力になりました。