韓の俳諧 (68) 文学博士 本郷民男
─ 亞浪の第二回旅行②─
臼田亞浪は1935年9月18日朝に、今は北朝鮮東北部の淸津(チョンジン)上陸し、案内の石原沙人と合流しました。
淸津は鰯の港なり、、年商一千萬圓に及ぶといふ
秋を凉しく鰯船勢ひ出づるや 亞浪
旦すがし漁船見る見る出はらひぬ 沙人
この年に韓半島で80万トンの鰯が獲れて、その4割が淸津です。チャンオリ(真鰯)とミョルチ(片口鰯)です。淸津の工場で油や肥料に加工して日本へ運ばれました。
高抹山上に、海を望み、巷を瞰む
野菊はよかり山にぞ在す國津神 亞浪
蜻蛉や色濃き海を眼な先に 沙人
淸津には小さな岬があり、高抹山(コマルサン)という展望台になっているので、登って町と海の眺望を楽しみました。淸津神社を参拝し、それを國津神と詠みました。
自動車を飛ばして北鮮鐵道管理局に到り、講演1時間。再び車中の人となつて泉鄕朱乙に向ふ。沿道干鰯の匂ひに禁へず。輸城川の流域、ただ草茫々。
また暑し寄せ來るものの干鰯(ほしか) の香
オモニオモニ市場へ擔(にな)ふ梨子甜瓜(なしまくは)
雁の陣みだれて道のはるかなり
午後2時から鉄道局で講演しました。この日の宿は淸津からかなり南の朱乙(チュウ ル)温泉(オンチョン)でした。干鰯はイワシを天日干して肥料にする昔からの方法です。工場でもっと近代的な肥料も作られていました。
輸城川(スソンチョン)は、延長72キロの川です。「オモニ」は母さんで、「オモニム」(お母さん)や「オムマ」(お母ちゃん)のほうが使われます。韓国では今でもチャメ(マクワウリ)が、夏から秋にたくさん出回ります。亞浪は女性が重い品物を頭上運搬するのに驚きました。
薄暮、朱乙温泉千歳館に旅装を解く。
夕べ湯川の河原撫子濃きをこそ 亞浪
渓嵐のそぞろ寒きをかち渡る 沙人
あまり湯の流れの櫻もみづりぬ 同
半宵、妓の三弦律をなさず、謡また調はず、沙人今様を朗詠して陶然たり。
朱乙温泉は湯量が豊富で、大きな湯船に浸かると、渓流の音が聞こえて来ました。女中に渓流釣りを勧められました。しかし、亞浪は対岸で温泉を掘っているのに興味を示し、下駄を脱いで川を渡るので、沙人も続きました。食事の時に芸者を頼みましたが、三味線も歌も下手でした。やむなく沙人が勤王の志士・平野国臣(1828~64)が獄中で遺した作を披露し、亞浪が感謝しました。
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