鑑賞「現代の俳句」(95) 蟇目良雨
峰々に明りはあらず星新し茨木和生[運河]
「俳句界」2016年2月号より
「星新し(ほしあたらし)」が新年の季語。初星ともいう。「角川俳句大歳時記」を見たら例句が無い。これはと作者が挑戦したとのかどうか定かでないが、歳時記の空白の一つ一つを丁寧に満たしてゆく作者の努力は『西の季語物語』『季語を生きる』『季語の現場』などで知られている。
掲句は、峰々には一つの灯しも無く、見えるのは新年を迎える星の光だけだと言っている。どんな土地なのであろうか興味が湧く。狭い日本であるが山岳が多く灯火の無いところはどこにでもありそうと思えても、送電線があれば鉄塔に保安灯が付けてあり、無線基地の鉄塔にも必ず保安灯が義務付けられている。道路が引かれていれば街路灯がありと無灯火の場所は探すのが難しい。同時作〈星新し隧道歩き抜け来れ
ば〉〈星新し岩魚飼ひゐる池の上〉があることから想像するに吉野や熊野の山中でひっそりと生活をする人の裏山の光景らしい。星明りのみが新年の夜空を彩り人の心を奮い立たせてくれる。
新しき年や五欲のよみがへり池田啓三[野火]
「野火」2016年3月号より
新年を迎えて五欲が蘇えってきたことをよろこんでいる。普通、年頭に当たり新たな願いを誓うのだろうが、作者は新たなものでなく従来身につけていた五欲が通常に戻ったことをよろこんでいる。体の衰えがあった去年とは何かしら違うぞと自身への期待感がそうさせたのだろう。〈春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子〉と同じく強い意志を感じた。
薄氷雲の茜を結びけり西嶋あさ子[瀝]
「瀝」2016年春号より
薄氷に茜色の雲が色を映した春らしい光景を詠んでいる。この句の眼目は「結ぶ」にある。「映しけり」と同義であるが「結ぶ」と言われると、心は千年も昔に飛んだ気持ちにさせられる。言葉の斡旋の大切さをこの句から学んだ。ところで茜雲は朝なのか夕なのかまだ決着がついていない。一日寒さが続いた夕暮れの一日を惜しむ心で薄氷を手にして茜雲に透かして見たと鑑賞したいがどうだろうか。
風にしたがふ曲水の宴のあと渡辺恭子[新月]
「俳句界」2016年3月号より
王羲之の会稽山の麓の蘭亭に始まるという暮春の曲水の宴は、日本の宮中に取り入れられ春の行事になった。庭の小流れに対座して座り上流から流れて来る盃が己の前を過ぎるまでに歌を詠むという遊び。掲句は曲水の宴が終わった後は吹きくる春風に身を任せましょうと言っている。宴の後の頬を吹く風はさぞ心地よいことであろうが、この句は、かつて三代続いた伝統のある俳句結社「曲水」を自らが終刊にした今
の心境を吐露しているものと拝見した。
存念の色よし瑞の蕗の薹島村 正[宇宙]
「俳句界」2016年3月号より
蕗の薹の句は多いが、その色に言及したものは少ない。私の好きな句に〈みちのくの緑は蕗の薹よりぞ 福田蓼汀〉がある。掲句は瑞々しい蕗の薹の色を存念の色と断定している。存念とは「いつも思い続けている」ことだから、出会った蕗の薹は私が思っていた通り瑞々しい色をしていましたと喜んでいる作者がここに見えて来る。日焼けして茶褐色になっていない雪から顔を出したばかりの緑濃き蕗の薹を想像できる。
陽炎にほうけし妻をゆだねけり加藤国彦[樹]
「俳句界」2016年3月号より
人はいずれ老いる。老い方は三つ、身体の自由が利かなくなる老い方と、ほうける(ボケる)老い方、それに稀に老いて突然ぽっくりと死ぬこと。どの道を行くかは神(仏?)のみぞ知る。ある年齢になるとぽっくりと死にたいと願うが、なかなか難しいのは周囲を見ればよくわかる。医学の延命治療が格段に進歩したことで逆に死に方は選択に迷うようになっている。掲句はほうけた妻を陽炎の中にゆだねたと言って
いる。長年連れ添った妻を傷つけないようにこんな表現を選んだ作者のやさしさが際立つ。現実は毎日が地獄のはずだからである。
膝掛けは荒海のいろ意を新た鈴木節子[門]
「門」2016年3月号
膝掛の色が荒海の色であることに気が付いた作者のウィットの富んだ一句。作者の身に寄り添って鑑賞すれば、結社の経営の厳しさに負けずに意を新たに頑張ろうと膝掛を力強く摑んだとした鑑賞も成り立つかと思った。結社の運営は本当に大変であると春耕の場合でも周辺から見て身に沁みている。
初午や刃物を研げば空映り岩淵喜代子[ににん]
「俳句四季」2016年3月号
初午で特に刃物を使う光景は思い浮かばないが、とにかく刃物を研いだら空が映るほどであったと初午の頃の乾燥した空気や寒さ感が出ていると思った。初午に狐、玉子焼、凧などを組み合わせても効果がないことを知り抜いている作者の挑戦作と思った。
冠被るやうに白鳥頭を運ぶ藤田直子[秋麗]
「秋麗」2016年3月号
水上を移動するとき、空を水平に飛翔するときの白鳥の頭の動きをしっかりと観察すると確かにこんな具合だと納得させられた一句。もし白鳥の頭に冠をかぶせたとしたら、白鳥はその冠を落とさないように無闇に頭を振ることもなく優雅に頭を動かしているときっと見えるはずである。「白鳥の湖」のバレーの舞台を見るように。
冬の夜は太書きペンの書きごこち和田順子[繪硝子]
「繪硝子」2016年3月号
少し悴んで冬の夜に書き物をするとき、きっとこんな太書きのペンが欲しくなるだろう。寒さに負けず力を込めて書くために太書きペンが相応しい。色は黒色で。
阮籍の青き眼か竜の玉今瀬剛一[対岸]
「対岸」2016年3月号
阮籍は竹林の七賢人の一人で青眼と白眼を使い分けたそうである。気に入った人に対しては青眼を見せ、気に入らないと白眼を見せたと言われる。白眼視はこの阮籍の目の色の使い方から始まったと言われる。掲句は竜の玉を見つけた作者がその美しい藍色を称えようと阮籍の青眼のようだと感じたのだが、もうこの時点で作者は阮籍その人に成り代わり竹林の七賢の一人になっている。俳句を作りその俳句の中で遊ぶことにかけては天下一品の作者である。
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