鑑賞「現代の俳句」 (96)         蟇目良雨

 

水底の暗きに鳰の忘れもの水田光雄[田]
「田」2016年3月号
水鳥の水中での光景を画いた句として『猿蓑』に内藤丈草の〈水底を見て来た顔の小鴨かな〉を見つけることが出来る。
水面に浮かびあがって顔をぶるぶる振る光景に触発されて出来たものであろう。一方掲句は、なかなか上がってこない鳰を見て多分水底に忘れものをして探すのに時間がかかったのだろうかと思いを寄せているのである。このようなメルヘンに遊ぶゆるい心も大切にしたい。

ターレーに冬日を乗せて運びけり中尾公彦[くぢら]
「くぢら」2016年3月号
ターレーは構内で使用される荷物運搬機。四輪で、人は立って運転をする。かつてはエンジン付きなので騒音と排気ガスに悩まされた。今は蓄電池を使用した電気モーターで動くので静かである。築地魚市場の光景であろうか、ターレーに載せた荷物に冬日が当たっている光景を詠んでいる。狭い場内を縦横無尽に動き回るものであるからよく接触事故を起こしたものである。荷物を載せてでなく、冬日を載せている
ところに詩情がある。築地市場は年末までに豊洲に移転する。今後の築地はどう変わってゆくのであろうか。

マフラーの幸せ巻きといふものを中坪達哉[辛夷]
「辛夷」2016年3月号
マフラーを単なる防寒具のひとつと考える筆者にはマフラーの巻き方など無い。首にだらりと垂らし襟元を塞ぐだけである。しかし、お洒落な人のマフラーの巻き方にはいろいろありそうで少し羨ましそうに見ているのも事実。私の幼い頃に「真知子巻」が流行ったのを男の子ながら覚えていたのはまことに不思議。調べて見るとマフラーの巻き方には六十種類あるらしい。どれが幸せ巻きか私には不明であるが、ネーミングからして少女たちに好かれる巻き方のような気がする。作者の目の付け所の鋭さを見た一句である。

老木にしてうるはしき山ざくら遠藤若狭男[若狭]
「若狭」2016年3月号
桜、花、山桜などこれまでどのくらいの数が詠まれてきたことであろうか。日本人にとって桜は特別な花であることの証であると思う。桜と共に生きていることが即ち日本人と言えるかも知れない。そして、桜を見る人の心の在り方に応じて表情を変えて見えるのも桜である。若木に咲こうが、老木に咲こうが桜の素晴らしさは変わることが無い。齢を重ねた作者にして老木の桜の良さをより深く感じることが出来たの
ではなかろうか。

加湿器に虹の生まるるそんな朝 小林篤子[鶴]
「鶴」2016年3月号
加湿器は「湯気立て」の副季語。呼吸器系の患者のいる室内の乾燥を防ぐために、ストーブや火鉢の上に薬缶や水の入った金盥を置き湯気を立てることを湯気立てと言った。加湿器は最近の電化製品であり、すぐれものには空気清浄器も付いているので病人のいる家庭には便利である。加湿器が噴き出している蒸気に朝日が斜めから差し込んで虹が生まれたことで、(病人がいるとすれば)何かが良い方向に向かって
いる予兆を作者は感じたのだろう。「そんな朝」に、はっきりと言葉に表せないが事態が好転してゆくだろうという漠然とした作者の喜びが見えた。

数の子に呼び塩猿蓑に栞鈴木多江子[雲取・貂]
「俳句」2016年3月号
年末にお節料理の数の子を仕込んでいる光景か。塩漬けの数の子の塩抜きをするのであるが、いきなり真水に浸すのではなく、適度の濃さの塩水に浸すことを呼び塩という。食品化学で説明することも出来るだろうが、昔からの言い伝えでこうやってきた母子相伝の技。じっくり時間をかけて塩抜きをするので、年末ながら閑を見つけて『猿蓑』を、栞をはさみながら読み進める作者の向学心が一句になった。

鳥の糞墓に一粒あたたか嶋田麻紀[麻]
「麻」2016年3月号
春先は掃苔に適した時期である。暑からず寒からず、それに蚊が出ないことが一番だ。樹木の葉はまだ生え揃わず解放感も味わえる。とある墓に来たら鳥の糞が一粒落ちていた。
それは先客の残した名刺がわりの印のように思え、心身ともにあたたかしと感じるのはこんな認識が出来た一瞬だと思う。

うすらひのわが残生のいろにかな北見さとる[繪硝子]
「繪硝子」2016年4月号
薄氷の色はと言われて答えられる人は少ないだろう。そもそも氷の色はと問われても同じだと思う。薄氷に映る色とか、薄氷に透けて見える色とかこちらは答えが出そうである。掲句のように残生の色と断定することが出来るのは作者の詩心の勝利である。作者は九十四歳にしてお元気である。

料峭の一点として鳶の笛石井那由太[泉]
「泉」2016年4月号
ものの本に、「料峭とは春の風が寒いことの形容でもあるが、料に撫でるの意があり、峭に削り取ったような厳しさの意があるから、全体としては我が身を責め立て削り取ろうとするような、春の寒々とした風と解し得る」とある。単に春寒しではないのである。この解釈を援用すれば春寒の風に乗って空の一点にとどまっている鳶の発する声が春の寒さを増幅していると鑑賞できる。焦点の定まった佳句であると感心した。

犬ふぐり土手に寅さんゐるやうな徳田千鶴子[馬醉木]
「馬醉木」2016年4月号
映画「男はつらいよ」の寅さんシリーズは1969年第1作が上映され1982年まで30作が公開された。1996年主人公の渥美清が亡くなってからすでに20年以上経っているのに、渥美清も寅さんもまだ生きているかのように思えるのは不思議。
掲句は柴又の江戸川の土手に寝そべって犬ふぐりを見ているとその向こうに寅さんがいるという錯覚に陥ったという。
寅さんのような人の居場所を日本から奪ってはいけないと作者は言いたげだ。

      貨幣博物館
うららかや千両箱を提げてみて宮田正和[山繭]
「山繭」2016年4月号
日本橋本石町1─1にある日本銀行貨幣博物館を訪れたときの作品。金貨、銀貨、紙幣などあらゆるお金が展示されているのだが、実際に触れることの出来た千両箱を提げてみて心を江戸時代に遡って遊んでいる。ここはかつて金座のあったところ。うららかの季語と千両箱の取り合わせが言外に江戸情緒を醸し出している。