鑑賞「現代の俳句」(105) 蟇目良雨
氷瀑をしばらく雨の叩きけり奈良文夫[萬緑]
句集『急磴』より
厳寒の地の氷瀑はまさに巖のようである。全身を青光りさせ何物をも寄せ付けぬ。私がかつて見た北海道央の層雲峡の凍滝はそんな風であった。宿から徒歩で見に行ったのである が帰路は、地吹雪で一歩も前に進めぬことになり通りかかったトラックに拾って貰った思い出がある。そんな厳しさを持つ氷瀑であるが、しばらく雨が叩くようになると春ももうす ぐそこにある。長い冬が終わった安堵感がこの句から横溢している。
龍の玉ふたたび虚子に戻りけり太田土男[草笛・百鳥]
句集『花綵』より
句意は、虚子に学んだ俳句作りからしばらく遠ざかっていたが、再び虚子の考えに立ち返って句作りをしていますよと言うこと。虚子には〈竜の玉深く蔵すといふことを〉という名句が残されている。
虚子の唱える「花鳥諷詠」が嫌いだという人も、虚子にいかにして近づき、また、乗り越えるかということを意識して来たはずだ。終始一貫して態度を変えなかった虚子によって俳句は、革新勢力の嵐にもまれながらも芭蕉に繋がる糸を切らすことが無かったのである。それは革新勢力が西洋の芸術論を持ち出してくるのに対し、虚子は東洋の考えを貫き通したからであり、西洋の芸術論が「自己の完結」を求めるのに対し、東洋のそれは「他者にも委ねる寛容さ」をもつために読む人の琴線を震わせることが出来たのである。虚子の晩年にまみえたことのある飯田龍太に〈龍の玉虚子のつめたき眼あり龍太『山の影』〉という句がある。掲句の「龍の玉」が虚子の眼同然に光芒を放ってきたと思った。
老松に蒼おほたか鷹とまる淑気かな伊東肇[若葉]
句集『多摩川』より
打座といひ即刻といひ梅真白鈴木しげを[鶴]
句集『初時雨』より
東京に来て短日を切り刻む森岡正作[出航・沖]
句集『風騒』より
地方や郊外に住んでいる人が、都心に出て来て、短日の一日をあれこれ走り回って用事を済ませたと鑑賞してみたが如何だろうか。
短日の時間を細切れに切り刻んであれこれできるのも本人が元気な証拠であり、それに東京の交通機関が格段に発展しているから出来ることでもある。鉄道や地下鉄を利用して更 に少し足を使えば三〇分もあれば都心は隅から隅へ移動できる。 短日ながら三つ四つの用事をこなすのは訳の無いことである。
楪やわれに不易の一句欲し大高霧海[風の道]
句集『菜の花の沖』より
生涯に一句が欲しいのは誰も願うこと。しかも不易の一句となれば尚更のことである。不易の一句というのだから時代が変わっても輝きが失われないような一句のことである。葉が譲りあうように生え代わって代々続いてゆく楪のような一句を願う作者の願望は誰にも共感できる。
鎌倉や大事を告げに綿虫来藤田直子[秋麗]
「秋麗」2017年1月号より
「いざ鎌倉」と馳せ参じて来る武将の姿になぞらえてみたものの、綿虫ののんびりと飛ぶさまに作者は半ばあきれ諦めている景色か。切り通しの狭い空を飛んで鎌倉に入って来る綿虫として鑑賞すると「大事を告げに」と、言いたいことが明瞭になって来る。写生句であるが、歴史を下敷きにしたために個性的な一句になった。
同じ作者の〈山に襞来し方に襞葛湯吹く〉は、冬山の深い刻を命とす〉のような作り方があろうが、考えを人に押し付 けるやり方は俳句を小さくさせてしまう。
父の忌のよき塩梅のとろろ飯水田光雄[田]
「田」2017年1月号
一読して作者の大家族の幼少期が思い浮かんだが如何だろ うか。とろろ汁を伸ばす出汁の分量は父親が指示する。時には味噌汁ほどの薄さのとろろ汁のことも私の家族ではあった。 他におかずは無い。それでも麦飯にかけたとろろ汁は贅沢な 食事であった。
父を偲びながらの昔ながらのとろろ飯は薄くのばしても濃くなっていても父の思い出につながる。どの場合でもよき塩梅なのである。忌を修する日に他に御馳走があったとしても、 父に直結するものはとろろ飯なのである。
登高や卒寿白寿の先は茶寿廖運藩[春燈]
<輪を描いてさらに高きへ鷹柱 山崎ひさを>[青山](「田」 2017年1月号より)<披露宴の二人の胸に赤い羽根 柏原眠雨>[きたごち](「きたごち」2017年1月号より)にも触れたかったが紙数が尽きた。
(順不同・筆者住所 〒112-0001 東京都文京区白山2-1-13)
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