鑑賞「現代の俳句」 (11)                    沖山志朴

こゑ揃へお亥の子さんの数へ唄池内けい吾〔春耕〕

[俳句  2021年12月号より]
 「亥の子」と題する貴重な連作のうちの一句。亥の子は主に西日本で見られる行事で、旧暦10月の亥の日に行われる。この日は亥の子餅を食べ、無病息災・家内安全や子孫繁栄を祈る。また、この日子供たちは、数え唄を歌ったり、丸い石に縄を何本もつけたものを空中へ引き挙げては落とす亥の子突をしたりしながら、村中をくまなく回る。
 掲句は、子供たちが家の前に揃って、賑やかに数え唄を歌っている光景である。このような伝統的な行事は、過疎化などにより次第に受け継がれなくなってきた。作者は、この貴重な行事を丹念に句として拾い起こしている。背景には、このような行事が廃れてゆくことへの一抹の寂しさがあってのことと推測する。

青春の欠片を拾ふ夏の海大竹多可志〔かびれ〕

[俳壇 2021年12月号より]
 若かりし頃の回想の句。その昔、多くの仲間と一緒に来た海辺であろう。波打ち際を歩いていると、自ずと思い出が蘇ってくる。ささやかな出来事を、断片的に思い起こし、月日の経つことの早さを実感する。
 感傷的にならず、冷静に過去を振り帰る中七の「欠片を拾ふ」の措辞が見事である。ただ感傷に流されるだけでは、句として浅薄になる。この冷静な語り口が掲句の魅力といえよう。 

あかときの寒天小屋の太蒸気髙井美智子〔春耕〕

[俳句界 2021年12月号より]
 「寒天干す」と題された六句のうちの一句。寒天づくりの作業は深夜に始まる。その深夜、寒風吹きすさぶ寒天小屋を訪れて、その作業工程を見せていただいたというが、作者の熱意の賜物の一連の作である。
 掲句は、乾燥した天草を強い火力で茹で続けている工程。長時間にわたって煮詰めるのであるが、煮立った大釜から小屋の天井へと勢いよく蒸気が立ち上がる。焦点化されたその太い蒸気の描写から、忙しく動き回る人たちの様子や、激しく燃え上がる炎の音などが、眼前の光景のように想像できる勢いのある句となった。

開戦日線香は火となりたがる谷口智行〔運河〕

[俳句界 2021年12月号より]
 人は、不条理な扱いを受けたり、思いを理解してもらえなかったりすると、不満が蓄積してくる。そこから怒りが生じ、血気に逸り、やがて攻撃行動へと移る。そのようにして、この地球上でどれだけ醜い争いが繰り返されてきたことか。掲句は、そのような不満や怒りから生ずる安易な攻撃行動を揶揄した句である。
 全く関係のない二物を取り合わせているようで、その実、巧みに計算された取り合せの句である。今日の世界状況を見ても、まさに一触即発の火種はあちらにもこちらにも。人類の愚かさを思わずにはいられない。

干柿に夕日かがやく藁家かな大串章〔百鳥〕

[百鳥 2021年12月号より]
 一昔前の田舎の風景画を見ているような懐かしさを覚える写生句である。一読して心の中が和んでくる思いがする。
 「夕日かがやく」に作者の工夫が感じられる。西の空に沈もうとする夕日が輝いているのではなく、干柿に夕日が輝いているのである。そして、焦点は、その輝く干柿に絞られている。下五まで読むと、「藁家」とあり、コントラストが見事に浮き上がってくる。

セーター編むときをり広き背中借り藤田直子〔秋麗〕

[秋麗 2021年12月号より]
 かつての時代と違って、おしゃれな衣類が安価で手に入るご時世、セーターを編む人も減ってきているのではないか。忙しい中、きっと身近な人のために特別な思いを込めて編むセーターなのであろう。
 「広き背中」から男性であろうということが推測される。かなり仕上がってきたのであろう。「ちょっと後ろを向いて」と言いながら、横幅を合わせる姿が浮かんでくる。和やかな居間の雰囲気が伝わってくる句。

純白のふくろふに貌浮びたる河原地英武〔伊吹嶺〕

[伊吹嶺 2021年12月号より]
 福をもたらしてくれるというふくろう。自然破壊等によりその数は減ってきている。掲句のふくろうは飼育されているふくろうであろうか。
 薄暗い小屋の中に差すわずかな光。ぼんやりとふくろうとは分かるのだが目を閉じていて、姿かたちがはっきりしない。そのとき、真っ白い物体が動いた。そして、目を開け、そこで頭部の輪郭が見え、貌がほのかに浮かんできた。省略が効いていて、想像をかき立てる楽しい句である。

(順不同)