鑑賞「現代の俳句」 (41)                田中里香

扉開くたびに来る風新社員小濱準子〔秋草・こなぎ
俳壇 2024年6月号より]
 毎年四月になるとオフィス街や金融街で新入社員を多く見かける。真新しいスーツを着て緊張の面持ちをしているので新人であることが一目瞭然だ。当然のことながら若々しく爽やかな印象を受ける。
 社屋の入り口の自動ドアであろうか。開く度に風が入ってくるのではない。清々しい春風のような新入社員が入ってくるのである。「来る風」と「風来る」とは大きく違う。短い一句の中では、一字一言が重要である。

カンバスの七割は空風薫る岡安徹子〔出航〕
[俳壇 2024年6月号より]
 初夏の景色を描いてみたら半分以上が空となった。爽やかに晴れ渡った空の広がりが、そこを流れる穏やかな南風をも感じさせる絵となったのであろう。
 「風薫る」という季語の効果によって、読み手には描かれた絵だけではなく、実際のその風景までもが眼前に見えるようである。一句の中に於いても季語の役割は七割か、いや、それ以上かもしれない。

洗ひたての山のあをさよ夏燕花野くゆ〔予感〕
[俳句四季 2024年6月号より]
 鮮やかな光景が見えてくる句である。間近にある里山に雨が突然に激しく降って、さっと上がった。夏の雨らしさが「洗ひたての山」という言葉によって見事に表現されている。
 雨の後の山の緑はいっそう青が深まって美しい。そこへ俄に活動を始めた夏燕が飛び交う。くっきりとした色彩のみで仕立てられたまさに夏らしく鮮明で気持ちのいい一句。

花見酒杉も吉野の一斗樽大谷弘至〔古志〕
[俳句 2024年6月号より]
 奈良県吉野山は言わずと知れた桜の名所で、豊臣秀吉も一行5000人を引き連れて花見を行ったという。吉野はまた杉も有名で、年輪が細かく均一で強度があることから樽材として江戸時代から造林が拡張された。花見の風習が庶民に広がったのも江戸時代からのこと。
 「一目千本」といわれる吉野での花見に吉野杉の香りのする樽酒。花見の宴の役者が揃った。

通ひ婚なら春月のこの道を柴田佐知子〔空〕
[俳句 2024年6月号より]
 通い婚というとすぐに平安時代を思い浮かべるが、現代も多様性の時代で別居婚、週末婚、通い婚もあるのかもしれない。しかし掲句はその様な現代的なオープンなものではない。世を忍ぶ通い路なら、秋の月が煌々と照り姿を浮かび上がらせる道ではなく、朧な月明りのみを頼りの道であるというのである。
 周囲に明かりは無く空には潤んだ春の月。作者はそんな道を歩きながらふと、もし愛する人のもとに通うのであれば今宵、この道はもってこいだと感じたのではないだろうか。

愛さるる果てに放られ天道虫依田善朗〔磁石〕
[俳句界 2024年6月号より]
 天道虫といっても色々な種類があるが、やはり可愛らしいのは赤い半球に黒い七つの星のあるナナホシテントウムシであろう。虫が苦手でもこの天道虫は平気という人が多いのではないだろうか。
 見つけた天道虫を手に取り、手のひらを歩かせたり胸元に止まらせたりして遊んだりはするが、それに飽きたら野に放つ。誰しもが経験のあることではないだろうか。
 誰もが知っている些細なことで、今まで誰も句にしなかったことを一句に仕立てるのは、出来そうでいて難しい。

早蕨や薬の里の水の音市村健夫〔晨〕
[俳句四季 2024年6月号より]
 俳句に関わっていると、思いがけず面白い知識を得られることが多々ある。薬の里といわれるとすぐに越中富山かと思うが、検索してみると滋賀県の甲賀は平安時代の初めにはすでに有数の薬草の自生地として知られていたとのこと。
 掲句の薬の里がいずれかは分からないが、高い山々が美しい水を生み豊かな土壌に薬草が育つのであろう。蕨もそのひとつで、むくみやほてり、イライラを鎮める効果があるそうだ。
 早い春を感じるのには薬の里はもってこいの場所だったのではないだろうか。早春の水音も効果的で清々しい澄んだ空気を感じる句である。