鑑賞「現代の俳句」 (42)                望月澄子

雪解の動物園に空の檻白濱一羊〔樹氷
[俳壇 2024年7月号より]
 ある日動物園を訪れると、綺麗に掃除され冷たい風の吹き抜ける空の檻があった。見慣れていた動物が、厳しい日本の冬を越せなかったのだろうか。どこの動物園にも目立たない所に慰霊碑があり、千羽鶴などが飾られている。飼育員の仕事は日頃の世話はもとより、絶滅危惧種の保全など多々あるそうだ。そして長年世話してきた動物の死を悼み、葬る事も大事な仕事だ。いずれまた新しい動物が、子供たちを迎えるだろう。

水仙の葉を結はへつつ春惜しむ中西夕紀〔都市
[俳句 2024年7月号より]
 水仙は辺りに花が乏しい1月頃に群れ咲き、香りも良い。花期は比較的長いが、やがて咲き終わると、ぴんと立っていた葉がへたってばらけてくる。そこで葉が枯れるまで一株ずつ紐で結ぶか、くるりと丸めておく。こうすると葉緑素が働いて養分が球根に蓄えられるそうだ。庭に屈んで一株ずつこの作業をしながら、季節が巡っていくのを実感されているひと時である。

復興へ高鳴る祭太鼓かな宮田勝〔
[俳句 2024年7月号より]
 新年早々に能登半島を襲った地震による大災害で、今も避難を余儀なくされている人も多い。そんな中では人手も足りず祭を中止せざるを得ない状況であろうと思うが、開催されたようだ。もともと夏祭は、疫病や災厄からの加護を祈るものなので、こんな年こそ有志が力を合わせて開催したのだろう。祭太鼓の轟きが、復興に向けて一歩一歩歩む人々への励ましになったことだろう。

朴の花見るに朴の葉大きすぎ森田純一郎〔かつらぎ
[俳壇 2024年7月号より]
 一読して立派な朴の木が目に浮かぶ。高い所に花が咲いているのだが、見る位置をずらしても茂った葉に隠れてよく見えない。朴の葉を朴葉飯や朴葉味噌などとして葉の香りと共に味わう郷土料理がある。それには葉の大きさが丁度良いのだが、花の全容を見るには邪魔なのだ。同時掲載句に「園広しやつとまみえし朴一花」があり、少々残念な面持ちが見えるようだ。

マネキンの担がれてゆく街薄暑松岡隆子〔
[俳句界 2024年7月号より]
 季節に先駆けてショーウインドーのマネキンは着せ替えられる。その様子は時折見かけるが、街を担がれてゆくのを私は見たことがない。両腕は外されているだろうが、人にもたれている肢体は妙に生々しく感じられる。店内ならともかく、都会の雑踏を担がれてゆくのは、違和感のある光景だろう。初夏の日差しの眩しさもあり、やや暑苦しく感じられたのだろう。

離陸せり万の雛罌粟置き去りに黒澤麻生子〔秋麗・磁石
[俳句 2024年7月号より]
 地方の小さい飛行場で、搭乗する直前まで風に靡く一面の雛罌粟を見ていたのだろう。まるで雛罌粟の畑から空へ一気に上がっていったかのようだ。与謝野晶子の短歌も自然と思い起こされ、どこか西洋的でメルヘンチックである。色とりどりの雛罌粟が一瞬にして遠のき、旅の思い出に浸られたことだろう。

蚊を打つて残業つづく誕生日荒川英之〔伊吹嶺
[俳句四季 2024年7月号より]
 誕生日の句は前向きな思いを詠んだものが多いが、掲句は教師として忙しい日々の中の誕生日である。残業中に唸りながら近づいてくる蚊を打つのは、鬱陶しいし集中力も削がれてしまう。やれやれという作者の表情も見えるようでおかしみがある。夜遅く帰宅し一息つく頃に、今日は誕生日だったかと気付かれたのかもしれない。

道切りの男綱を揺らす滝の音朝妻力〔雲の峰・春耕
[俳壇 2024年7月号より]
 表題「明日香風」33句の中の1句である。毎年1月11日に飛鳥川下流に、男綱と女綱が掛け替えられる。これは子孫繁栄や五穀豊穣を祈り、外からの悪疫の侵入を封じる神事だそうだ。近くには滝があり、太い男綱を揺らしているのは滝風や滝飛沫ではなく「滝の音」である。緑の濃い山間で滝の音だけが響き渡り、周りの静けさが一層際立って感じられる。