鑑賞「現代の俳句」 (45)                田中里香

さりさりと帯を解く音夏終る高橋雪子〔パピルス・天為〕
[俳壇 2024年10月号より]
 「さりさり」という帯の音から始まる一句である。夏帯は、絽・紗・羅・麻など粗く織られているもので通気性が良く、透け感が見た目にも涼し気なもので、触れると張りがありざらりとした感触がある。それを解くとき特有の音である。柄や素材を先取りするのが和装の粋とされるので、暦の上では夏が終わる頃、たとえ暑さが続いていたとしても盛夏用の帯は着用しない。解かれた夏帯はまた来年まで大切にしまわれる。「さりさり」という表現が微かに感じた秋風の清々しさを、そして季節が変わる時の一抹の寂しさを感じさせる。

手を打つて鬼呼ぶ遊び曼珠沙華石井雅之〔濃美〕
[俳壇 2024年10月号より]
 子供の頃に遊んだ目隠し鬼であろう。手ぬぐいやタオルで目隠しをした鬼を、手を叩いて「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」と声をかけながら呼ぶ。サトウハチロー作詞の「小さい秋見つけた」にも出てくる懐かしい遊びだ。今、この遊びをする子供たちはいるのだろうか?少なくとも都会では見られなくなった懐かしい光景である。「鬼呼ぶ遊び」と「曼珠沙華」の取り合わせが、時空を超えて過去の世界や異界へと引き込まれるような不思議な感覚にさせられる一句である。

秋の蚊に許すわづかな血なりけり佐々木紺〔豆の木〕
[俳句四季 2024年10月号より]
 秋の蚊は、残る蚊・後れ蚊または溢れ蚊・哀れ蚊としても俳句に使われる季語。飛ぶ様子も羽音も弱々しく不憫に思われるが、実際には刺されれば痒くて疎ましい存在である。しかし、どんなことも詩にするのが俳人である。秋になっても命を繋ぐために必死な蚊に、自分にとってはほんのわずかな血を吸うことを許したと表現している。単に秋の蚊に刺されたという事実が、美しい詩となり得るということを掲句は教えてくれている。「許す」というひと言の起用が見事。少し負け惜しみのようにも思えて、くすりと笑える。日常の小さな出来事を捉えて詩的に表現された一句。

烏瓜の赤を曲がれと案内さる鴻野眞智子〔うぐいす俳句会〕
[俳句四季 2024年10月号より]
 目的の場所までの道を、近くの通行人か店の人に聞いたのであろうか。曲がる角の目印としての烏瓜の赤い実。季節がずれていれば無い目印である。少し早ければ実は緑色に白い縞模様で、大きな緑色の葉に紛れて目立たない。案内の人は「〇つ目の角を曲がってください。赤い烏瓜が実っているからすぐわかりますよ。」と教えてくれたのであろう。気温が下がってきて葉も蔓も枯れて真っ赤な実が一層目立つ頃の情景だ。上五・中七の省略の効果で、ピンポイントで捉えた季節の光景が在り在りと表現されている。

夏野行く力おむすび二つ分山根真矢〔鶴〕
[俳句 2024年10月号より]
 例えば自動車ならガソリン〇リットル分というところだろうか。私も経験があるが、吟行をする時など途中でお腹が空くと、木陰に入り石や倒木などちょっと腰掛けられるところを探して、持ってきたおにぎりを頬張る。夏野は日射しが強く照りつけ、草花が丈高く生い茂るその草いきれの中を歩く。歩いて来た分の体力、そしてここからまた夏野を歩く分の体力のためのおにぎり二つだろうか。体力をおにぎりで表すという意外性の一句。類想がない。

泥眼や二つ同時に流るる星山田讓太郎〔航標〕
[俳句 2024年10月号より]
 泥眼とは能面のひとつで、白眼の部分を金泥で塗られている女面のことだが、少し開いている口から見える歯にも金泥が施されており、妖しい凄みのある表情から、嫉妬の炎を内に秘めた女性に用いられる面である。能の演目では「葵上」の六条御息所の生霊が代表的である。そしてこの能面に流れ星を取り合わせている。流れ星は宇宙塵が大気圏に突入するときに発光するもの。と解説すると興ざめだが、不意に現れてすぐに消えてしまうので人々の心を魅了する。況してやそれが二つ同時に流れた。そして同時に燃え尽きてしまった。「泥眼」を配したことによって成就しない恋の情念を感じる。掲句は泥眼を「や」という切れ字で詠嘆しておいて下五は「星流る」ではなく、字余りになるが「流るる星」と体言止めで印象づけている。

すんなりと越えし卒寿や小鳥来る影島智子〔百鳥〕
[俳句界 2024年10月号より]
 気持ちのいい句である。「すんなり」は広辞苑によると、抵抗なく順調に物事が進行するさまとある。順風満帆の幸せな人生を過ごしてこられたように受け取れるが、子供の頃に戦争を経験なさっているはずである。九十年の間には色々なことがあったのであろうが現在、健康でしかも他の句によると、今も農作業を元気に続けておられることがわかる。まさに難なくすんなりと九十歳を越えられたのである。日々季節の移り変わりと密接に関わって過ごされて、今年もまた小鳥たちが来るのを元気に迎えた。老いることを憂うのではなく、あっけらかんと句になさっている姿勢を見習いたい。