鑑賞「現代の俳句」 (47)                倉林美保

五戸に減る浦の信徒や聖樹の灯安原谿游〔渋柿〕
[俳壇 2024年12月号より]
 浦の信徒とは潜伏キリスタンいわゆる隠れキリシタンの末裔と思われる。隠れキリシタンは江戸幕府の禁令下で凄惨な迫害を被りながらも、密かにキリスト教の信仰を守り続けてきた人々を指す。その後明治政府が禁教を解いた後は、ほとんどがカトリックとなったが、今も隠れキリシタンとして、天草や五島には信仰を守って生活している人たちがいる。かつては多くの信者が人目に付かない浦に暮らしていた。しかし今ではたった5戸となってしまった。作者は聖樹を灯し存在感と信仰への誇りを示している景に、尊敬の念を抱きこの灯が絶えることのないようにと祈った。

渡り蝶色なき風の空に舞ふ川上純一〔煌星〕
[俳壇 2024年12月号より]
 「渡り蝶」とは蝶には珍しい渡りをする蝶のことで、日本ではアサギマダラ(浅葱斑)のことを指す。名前の由来は羽が浅葱色で黒い斑があることによる。世界では北米とカナダの国境からメキシコまで約3500キロを移動する蝶が知られている。日本のアサギマダラは世界で唯一海を渡るとされ移動距離はおよそ2000キロ。食性は藤袴などで秋に南下するものと春に北上するものがいる。
 掲句は十分に栄養を補給して秋の「色なき風」に舞い立った優美な姿を愛で、無事に目的地へ着くようにと祈っている様子。

空き多き蔟の四角秋の風戸矢一斗〔銀漢〕
[俳句四季 2024年12月号より]
 蚕は桑の葉がある5月から10月ごろまで飼育され寿命は約2か月、卵から成虫へと完全変態する。蚕は5齢になると繭を作るために桑を食べなくなり糸を吐く準備に入る。この蚕の習性を利用して段ボールなどで四角に区切った蔟(まぶし)と呼ばれる養蚕具に移す。今年は猛暑の影響で育ちが悪かった。句意には少し虚しさも感じられるが「空き」と「秋」のアとキの明るい音のリフレインに救われた。

籾殻に埋もれ小布施の冬りんご河野真〔郭公〕
[俳句四季 2024年12月号より]
 長野県の小布施は栗で知られている。周りに高い山が少なく日照時間が長い。また千曲川沿いの肥沃な土地で多くの果物が栽培されている。なかでもりんごは青森県に次いで全国2位の収穫量である。
 そんな小布施から今年も「冬りんご」が送られてきた。緩衝材がプラスチックや段ボールとなっている昨今、今では貴重な籾殻を使って、年を越しても美味しくとの心遣いである。籾殻の中の真っ赤なりんごを愛でている作者の様子がありありと目に浮かぶ。

かりがねを迎へむと水しづかなる飯田晴〔雲〕
[俳句 2024年12月号より]
 雁は歳時記によると晩秋に北方から棹や鉤形の編隊を組んで、鳴き交しながら日本に渡って来る。
 「雁が音」と呼ぶのは姿よりも鳴き声を愛でたことによると言われている。何千キロも渡る途中には命を落とすものも多い。そんな苦労をして渡って来る「かりがね」を受け入れる沼や湖がまるで渡りを労うように水が穏やかである様子を詠った。「水しづかなる」ととらえた作者の自然に対する眼差しの優しさに心惹かれた。

稲つるび神も火山も島を生み陽美保子〔泉〕
[俳句 2024年12月号より]
 今年は新年早々の能登の大地震に始まり日本各地で多くの災害が発生した。世界に目を向けるとインドネシアやアイスランドの火山の噴火に地球の活動の激しさを改めて知った。
 「稲つるび」とは雷のことで稲妻の傍題である。稲が雷によって霊的なものと結びつき豊作をもたらすと昔は考えられていたと言う。
 激しい雷に遭遇した作者は人知の及ばない何かを感じた。それは天地創造の神のような存在であり、火山の多い島国日本も神によって生み出されたと、自然への畏敬の念を抱いたのであろう。

年用意医薬ととのふ事もまた五領田幸子〔馬醉木〕
[俳句界 2024年12月号より]
 新年を迎える準備の「年用意」には様々なことが考えられる。まずは大掃除から始まって、障子の貼替、注連飾りやお供え餅の準備など、各々の家の伝統に則り行われる。かつては、三が日は何処も休みだった。したがって重詰めのおせち料理やお雑煮のお餅も欠かせないものだった。
 今では元旦から開いている店もあるので便利になった。しかし、病院や薬局は救急以外は開いていないので、持病のある人は早めに医者に掛かることも正月を迎える年用意の一つであると説いている。