鑑賞「現代の俳句」 (49)                田中里香

父母の居て妻の微笑む春の夢石川笙児〔沖〕
[俳句界 2025年2月号より]
 「夢」に季節が付いて季語になっているのは春だけである。平家物語の冒頭で「驕れる人も久しからずただ春の夜の夢のごとし」とあるように春の夢は儚いものの例えとして用いられてきた。心地よい眠りの中で、父母に逢い妻の微笑みを見て幸せな気持ちになったが、目覚めた途端に全てが消えてしまった。決して取り戻せない思い出の時間を夢の中で得たが、その後の気分は一層虚しい。「春の夢」という季語によって、ぬくもりと優しさを感じると共に寂しさへと読み手の感情も移行してゆく。

引絞る力に冬の日が上る関灯之介〔楽園〕
[俳句界 2025年2月号より]
 若い方の句である。口語体で大胆な表現がいかにも若々しい。冬の日の出を海で見ているところを想像した。出るのを渋っているような太陽が、強い力で海ら引っ張り出されている。美しい光の尾を未練がましく残しつつ、水平線から引きはがされるように日が上る。一年中毎朝日は上るが、ようやく出てきた冬の太陽を表現するのに「引き絞る力に」という思い切った表現が功を奏している。使い古された言葉ではなく、自分の言葉を見つけたことによって在り来りの句と線を画す。年齢には関係なく、自分らしい表現を引き絞る力を持って句作に励みたい。

ひととせの旅のごときよ紙漉は黒沢孝子〔岳〕
[俳句 2025年2月号より]
 楮や三椏の芽が出て和紙となるまでの工程を追うと、正に一年がかりである。 紙漉の里では春に肥料をまき楮を育て、夏には太く育てるためにわき芽を摘む「芽かき」を行う。11月から1月に刈り取った楮を蒸し皮を剥いて干す。同時に、紙を漉くときの糊として使うため黄蜀葵(トロロアオイ)の根を叩いて粘り気をだす。一年分の和紙の材料をこの時期に作るので、寒中が一番忙しい時期である。そしてようやく漉かれ、干されて和紙となる。楮や三椏は一年をかけて多くの工程を経て美しい和紙となる。長い旅の末に得られたものは尊い。日本の和紙は薄くて丈夫なので、海外の美術品修復にも使われている。和紙となってさらに旅に出るのである。掲句によって改めて、丁寧な仕事によって作られる日本の文化に思いを馳せた。

採寸の背筋伸ばしぬ春隣山下由理子〔香雨〕
[俳句四季 2025年2月号より]
 春は入学・入社の季節である。それに備えて学校の制服や通勤する時のスーツを仕立てる。体に合わせて作るために採寸をするという時の光景。中七の「背筋伸ばしぬ」に希望に満ちた様子が表現されている。もうすぐやってくる暖かい春には、さらに背筋をぴんと伸ばして新しい生活をスタートさせるであろう。日の光や木々、風などが少しずつ変化してきて春がそこまで来ていることを表す「春隣」という季語の斡旋により、新生活への希望や期待感が巧みに表現されている。

この先の句碑の月日や初時雨鈴木しげを〔鶴〕
[俳壇 2025年2月号より]
 2024年10月、東京都調布市深大寺に作者の師である石田波郷と星野麦丘人の句碑の傍に作者自身の句碑が建てられた。この真新しい句碑をこれから幾度の時雨が濡らすのであろう。「初時雨」という季語から、各地にある松尾芭蕉の句碑を思ったが、いずれも長い年月を経て文字が摩滅して読み取りにくく指で文字をなぞってみたりする。百年、二百年経ちやがて並んで立つ師弟の句碑も、ともにゆっくりと朽ちてゆくのであろう。ご自身の句碑であれば、この先の月日を思わざるを得ない。後世の人々が指でなぞってみるのかも知れない。

春立つや巫女の髪結ふ和紙の白石本悦夫〔今日の花〕
[俳壇 2025年2月号より]
 巫女の髪型は長い黒髪を後ろでひとつにまとめるという決まりがある。そのまとめた髪に白い奉書紙を巻いて麻の紐で縛る。一年で最も縁起のいい最強開運日といわれる立春に、歳徳神のいる恵方の神社や氏神様にお参りすると、気が高まり運気が上がるといわれている。その運気に満ちた境内で、巫女の髪に巻かれた真っ白な和紙に目を止めた。まだ風は冷たいが日差しには春を感じる。「春立つ」という季語には春が来た喜びと新しい年への期待感が含まれている。和紙の白が眩しい。

しんしんと雪の夜空の奥深し新井大介〔ににん〕
[俳句四季 2025年2月号より]
 「しんしんと」という言葉は降る雪を表現するときの定石であると思うが、雪の降る夜空を見上げた時にこの言葉を用いざるを得ないと感じる。雪が深い深い闇の奥から落ちてくるのを見上げていると、空の深さに恐怖心すら感じる。昼の空には無い感覚である。昼の空には深さではなく広さを感じるからだろう。雪雲に覆われた夜空には不気味な深さがある。その深みから雪が止めどなく降りかかってくるのは、神秘的で正に「深々と」なのである。空の高さではなく広さでもなく、深さを感じられるのは雪の落ちてくる夜空であると、体験したものにしかわからない感覚である。