衣の歳時記(78) ─ 秋彼岸 ─
我部敬子
緩やかに秋へと移ろう九月。秋分の日を境に昼夜の時間が逆転する。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、彼岸は時候の変わり目でもある。畦や土手に曼珠沙華が咲く中、墓参に訪れる人が跡を絶たない。
ひとごゑのさざなみめける秋彼岸森澄雄
秋分の日を中日とした「秋彼岸」。春の「彼岸」と同様に、寺院や墓所に参り「彼岸会」などの仏事も行われる。彼岸とは仏教語「至彼岸」の略で、此岸(凡俗の世)に対して、悟りを開いた涅槃の境地をいう。平安時代に始まった朝廷の行事が、江戸期に庶民に広まった。今回は彼岸会に因んで僧衣を取り上げてみる。
ことごとく僧衣陰干し蓼の花 西住三恵子
僧侶の衣は袈裟に始まる。インドで、捨てられたり不要になった布を縫い合わせた三衣(さんえ)から発展した。袈裟は梵語kasayāからきており、壊色(えじき)という色の意である。一般人と区別するために決められた色で青、黒または木蘭色の濁った色で染める。着方は左肩から右脇下に斜めに着ける。南方にはこのスタイルが残されている。その後仏教が北方に伝わると、寒さに対応すべく下着を着用するようになり、これが法衣として発展する。中国や日本で袈裟は、法衣の上に重ねる形式的な装飾となった。法衣は元来質素なもので、釈迦入滅の時も粗末な衣を纏っていたといわれるが、時代が進むにつれて次第に華美になっていく。特に中国ひいては日本で、僧侶の身分や階級を象徴する様式化が進み、色も紫、緋、緑、青が許された。裘代(きゅたい)と素絹(そけん)がその代表で、裾に襞を付け、後襟を三角形に立てた僧そうごうえり網襟であった。
鎌倉時代に禅宗が広まると、上下を繋げた簡素な直じきとつ綴が他の宗派でも着られ、平僧は黒衣と決められていた。いわゆる墨染の衣であり、現代も使われている。
明治になると、廃仏毀釈により僧衣は各宗派の自由な権限に任され改変されていく。それまで時宗だけにあった裳無しの衣が、改良服・改良衣え という名で略服として普及した。また、洋服を取り入れた洋僧衣も現れ、現代に至っている。
略装用の袖は着物並みの寸法で、裾の襞は少なく、ない場合もある。半襦袢の上に白衣を着て、改良服を羽織る。履物は白い鼻緒の雪駄。彼岸や盂蘭盆の頃には、車や電車で移動する改良服の僧侶をよく見かける。
住職の帰山の法衣菊薫る米田泰子
無論、僧衣にも六月と十月に更衣がある。筆者の知り合いの浄土宗の住職によると、法然上人の御忌が終わると夏服に替えるという。夏は絽、紗。冬は羽二重、綾、平絹など。近年化学繊維のものも出回り、インターネットで購入する人も多いという。
昨年の十二月、横浜市鶴見区の曹洞宗總持寺を見学した際、案内係の修行僧の法衣を身近で観察できた。白衣の上にやや広幅袖の改良衣。足許は「べっす」という指割れのない足袋のようなものを履いていた。冬だというのに袖が透けていたので、寒くはないかと心配だったが、通年着用しているとのこと。修行僧にとっては些末なことであるらしい。塵一つない磨き抜かれた寺内や、濁世の片鱗も感じさせない清浄な姿に、心が洗われるようだった。
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