衣の歳時記(88) ─甚平 ─                        我 部 敬 子

 

 梅雨の間垂れこめていた重い雲が払われ、真夏の日差しに変わる7月。もの皆明るく太陽の光に晒される。日本の夏は蒸し暑い。せめて家にいる間は楽で涼しい装いで過ごしたいと願う時候である。

甚平の父襷の母顕つ木槿路地伊丹三樹彦

 夏の家庭着として親しまれている「甚平」。羽織ほどの丈で、前を着物合わせにして紐で結ぶ。木綿、麻、縮などで作り素肌に着る。老人や子供に向いている。副季語は「じんべ」「袖なし」。

甚平の紐むすびやる濡手かな皆吉爽雨

 甚平という少し奇妙な名前はどこから来たのであろうか。一説では、甚平または甚兵衛という人が考案したというが定かでない。また江戸時代上方町人の間で、武士の陣羽織を模した袖無しの甚兵衛羽織が流行り、それが転訛したともいわれる。芭蕉の『貝おほい』にある次の句はそれを指しているのだろう。

きてもみよ甚べが羽織花衣芭蕉

 当時は夏物とは限らず袷や綿入れもあり、仕事着にもなった。上方で広く着られたが、江戸ではそれほど人気が出なかったとみられる。
 甚平が、今のような夏のくつろぎ着として定着したのは大正時代。男性はステテコのような共布のズボンと組み合わせて着る。仕立ては短い筒袖を付け、脇を千鳥かがりにしているので風通しがよい。関東でも愛好家が増えてきた。子供の甚平姿は特に好ましい。

甚平のよその児にゆく眼かな石橋秀野
甚平やすこしおでこで愛らしき日野草城
山のポストに甚平の子が背伸びして中村明子

 しかしながら女性は甚平に対して、必ずしも好意的ではないようだ。

甚平やをとこは老いをあからさま鈴木真砂女
甚平を着て妻に子に疎まるる茨木和生

 一方男性俳人の句は、様々な心情を吐露していて興味深い。まずは老いの感慨。

甚平や老残いよよ明らかに富田直治
甚平着て齢も洗ひざらしかな小山梧雨

 甚平に馴染みながら、その境遇を肯定的に捉える句。因みに鷹羽狩行は甚平の句を数多く詠んでいる。

甚平を着て雲中にある思ひ鷹羽狩行
甚平や性懲りもなく人の世話山本蓬郎
遊び紐がよし甚平も晩年も倉橋羊村
甚平や一誌持たねば仰がれず草間時彦

 最後の句。俳句に関わりながら、定年退職まで勤め上げた境涯がさらりと季語に託され、中七、下五の断定で鮮明に炙り出されて見事である。