古典に学ぶ (61) 『枕草子』のおもしろさを読む(15)
   ─ 夏の色、そして「心ざし」の色①─      
                            実川恵子 

 ある真夏、昼中の日常のひとこまを描いた「いみじう暑き昼中に」(182段)という章段がある。
 いみじう暑き昼中に、いかなるわざをせむと、扇の風もぬるし、氷水(ひみず)に手をひたし、持て騒ぐほどに、こちたう赤き薄様(うすやう)を、唐撫子(からなでしこ)のいみじう咲きたるに結び付けて取り入れたるこそ、書きつらむほどの暑さ、心ざしのほど浅からずおしはかられて、かつ使ひつるだに飽(あ)かずおぼゆる扇も、うちおかれぬれ。
(とても暑い昼中に、どうしたらこの暑さを和らげられるだろうかと、扇の風もぬるいし、氷水に手を浸してみたり、氷を手に持って騒いでいるうちに、真っ赤な薄様の手紙を、唐撫子の立派に咲いた花に結びつけたものを、取次の者が持ってきたのは、この手紙を書いた時の暑さ、こちらへの気持ちが浅くないということが推し量られて、氷をもてあそびながら飽きずに持っていた扇も、思わず下に置いてしまったのだった。)
 扇であおいだり、氷水に手を浸したりして大騒ぎしている情景が想像される。そこには多分にはなやいだ雰囲気が感じられる。夏の氷は、限られた者にしか手に入らない贅沢品であり、おそらく、宮中では夏の一日、氷室に貯蔵された氷が清少納言たちにも振る舞われたのであろう。
 ちょうどそのような折に、「こちたう赤き薄様を、唐撫子のいみじう咲きたるに結びつけ」た手紙が届けられたのである。薄様とは、和紙の名で,薄く漉(す)いた鳥の子紙で、それに咲きほこった赤い唐撫子が添えられた手紙は、現代の感覚からすれば、まさに暑苦しい感じがすると思われるかもしれない。現代の注釈書でも、次のような注が付けられている。
 * この上なく赤い紙、それに加えて真っ盛りの唐撫子と、暑さを際立たせるような道具立てである。
 * こんな暑苦しいものを、この暑さの中で書いてくれたのか、と感じ入ってしまう。
                       (新日本古典文学大系・岩波書店・脚注)
 * 暑さの盛に、濃い赤色の取り合わせはいよいよ暑さを増す。それを書いてくれた人の暑さを想像して、志の深さを思いやる。        (新編日本古典文学全集・小学館・頭注)
 だが、ほんとうに清少納言は、届けられた手紙に「暑苦しいもの」という感懐を抱いたのだろうか。清少納言の感性を思えば、真夏の赤は、夏の暑さの極限を象徴する色として、まさに相応しいものといえる。そういう意味で、真っ赤な手紙とは、清少納言の嗜好にかなうものである。暑い真夏の日中の耐え難さの中にいるからこそ、美による現実の救いが必要なのであり、真っな手紙が送られてきたことに対して、その見事な感覚が際立って印象付けられたというのであろう。
 しかし、それだけではない。夏という季節と赤色との組み合わせは、中国思想の、宇宙の万物を作る木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)という五つの元素に基づく陰陽五行(おんようごぎょう)に関わるものであることは、すでに貴族社会で共有された知識と教養であったろう。古代の知識を基盤として、その共同幻想としての夏の色と赤のイメージがここに共有されたのである。このような観念的な色彩感覚も、『枕草子』世界を構築する要素の一つと思われる。