古典に学ぶ (53) 『枕草子』のおもしろさを読む(7)
   ─ 類聚章段諸段考「草の花は」段(六五段)の薄① ─                                     実川恵子 

 白くほほけてゆらゆらと風になびく薄の穂を見ていたら、次のような章段が思いうかんだ。
 六五段「草の花は」である。この章段は主として、撫子や萩、女郎花、桔梗などの秋の草の花をあげていくところは、今までにもあげたような類聚章段のものづくしの段と比べて、特にとりたてていうほどのこともない。ところが、それに続く部分に次のような叙述がある。

 「これに薄を入れぬ、いみじうあやし」と、人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳(すはう)に、いと濃きが、朝露に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋の果てぞ、いと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花のかたちもなく散りたるに、冬の末まで、頭のいと白くおほどれたるも知らず、昔思ひ出で顔に風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそあはれと思ふべけれ。

 (「この『草の花は』の中に薄を入れないのは、とても奇妙だ」と、人は言うようだ。秋の野を通じてのおもしろさというものは、まさに薄にこそあるのだ。穂先が黒みを帯びた赤色で、とても濃いのが、朝露に濡れてなびいているのは、これほどすばらしいものがほかにあろうか。しかし、秋の終わりは、全く見るべき所がない。いろいろな色に乱れ咲いていた花があとかたもなく散り果てた後に、冬の末まで、頭がまっ白く乱れ広がっているのも知らないで、昔を思い出しているような顔つきで風になびいてゆらゆら立っているのは、人間にとてもよく似ている。こういうふうになぞらえる気持があるので、その点が特にしみじみと気の毒に思われるのである。)
 穂に出たばかりの「蘇芳にいと濃き」薄が野原一面になびく姿は圧巻だと、秋のはじめの薄を絶賛したあと、秋の末の薄が、すでに穂も白くほほけ、葉も枯れ、みじめになったおのれの姿を自覚せずに、風が吹けばたなびいているつもりで、実は「かひろぎ立」っているにすぎない、と喝破している。しかも、色々に美しく咲いた花々は、すでにかたちもなく散り失せているのに、とある。
 清少納言の晩年がどんなものであったかはとても興味のあることだが、正確なことはわからない。『紫式部日記』の中に、「そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらん」(そういう軽薄なかたちになってしまった人の行く末が、どうしてよいことがありましょう)とあるのを、このころすでに清少納言が零落していたことを示すものと受けとめることもできるが、(清少納言が依然として宮仕えをしているからこそ、対抗意識をむき出しにして、今に悲惨なことになるだろうと批評しているとも考えられる)また、『無名草子』には、清少納言が零落して地方に下り、「つづりといふものぼうしにして侍りけるこそいと哀れなれ」(つぎはぎだらけの布をかぶりものにしておりましたのが、大そうあわれでした)とあったり、『古事談』にも、清少納言が落ちぶれて零落して、こわれかけた家に住んでいたとか、法師のような恰好をしていたとか、記されている。
 事実がどうであったかはともかく、清少納言自身が、人間の老いのはての姿をどう見ていたかが、この段から読みとれることはとても興味深いものがある。