古典に学ぶ (76)令和を迎えて読み直す『万葉集』の魅力
─  「梅花の宴」の意味するもの④     
                            実川恵子 

 「梅花の宴」の主催者たる大伴旅人の幻想的な歌である「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」(822)を承け、伴氏百代(ばんしのももよ)は、後続の歌人への配慮から、主人の高雅に対して、「梅の花が散るとはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています」と詠み、後続の人への配慮を欠かさない。この百代の歌のおかげで、大宰府の次席裁判官である少監阿氏島(しょうけんあしのおきしま)は次のように詠った(824)。

梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林にうぐひす鳴くも
(梅の花の散るのを惜しんで、この我らが園の竹の林で、鶯がしきりに鳴いております)

 この歌は、散る梅に、竹と鶯を取り合わせ、新たな幻想の世界を創り出し、前歌を一挙に転換させることで、主人旅人の世界へのつながりを示そうとしたのであろう。「梅の花散らまく惜しみ」は前歌百代の「梅の花散らくはいづく」を承け、また、「我が園」は旅人の「我が園」を意識してのことであろう。続いて土村(しのももむら)は次のように詠う。

梅の花咲きたる園の青柳を縵(かづら)にしつつ遊び暮らさな(825)
(梅の花の咲いているこの園の青柳、この青柳を縵(かづら)にしながら、今日一日を楽しく遊び暮らしましょう)

 このあたりまで来ると、この「梅花の宴」も次第に興に入ってきたことに気づく。続いて詠んだ史氏原(しじおおはら)もまた、同じように前に詠んだ憶良の歌を踏まえることを忘れない。彼の826の歌は、

うちなびく春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか別かむ
(しなやかな春の柳と、この我が家の梅の花と、その優劣をどうしてわけられようぞ)

 この歌は、「青柳」だけに片寄るなという前歌を承けつつ、憶良の818歌の「春さればまづ咲くやどの梅の花」を意識している。
 続く827歌は、大宰府第四等官の次席の少典山氏麻呂若呂(しょうてんさんじのわかろ)の、

春されば木末隠(こぬれがく)りてうぐひすそ鳴きて去ぬる梅が下枝(しづえ)に      (春がやってくると、梢に隠れて鶯が鳴いては飛び移っていく。梅の下枝あたりに)
 
 じつは、この歌には今までの歌に詠み込まれた「梅の花」の語がない。小野大夫が最初(816)に「梅の花」の語を詠んで以来、どの歌人も必ずこの語をどこかに取り入れて詠み継いでいるのである。しかし、この歌にはこの語がない。継いでの歌、828、829には「梅の花」が出てくるから、この「梅花の宴」の上席15人の歌詠の中で、「梅の花」を欠くのはこの一首だけになる。何か理由がありそうだが、詳しいことは分からない。
 上席の終盤は、次の二首(828、829)である。

人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも
(誰もがめいめいに折って髪に挿し、遊び楽しんでいますが、ますます心惹かれる梅の花です)

梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
(梅の花が咲いて散ってしまったならば、桜の花が引き続き咲くようになっているではないか)

 大宰府の判事、丹呂(たんじのろ)の828歌は、前歌がいささか歌の流れを崩したためか、この歌は「梅の花」の縁というごく当たり前の構図になっている。
 続く829は大宰府の医師張氏福子(ちょうじのくし)の、上席の最後の歌である。これは、明らかに愛憎やるかたなしとうたう前歌を承け、821の「飲みての後は散りぬともよし」に反応している。流れを元に戻し、梅の花を満喫した後には桜があるとした詠は、「梅花の宴」上席の締めくくりとして相応しいものと思われる。