日本酒のこと  (27)                     安 原 敬 裕
「熟成古酒」

 俳句の歳時記の「古酒」とは、新茶に対する古茶と同じように新酒が出回る前に搾られたお酒のことです。一方、日本酒の世界では歳時記と異なり「酒造年度=BY(Brewery Year)」という概念があります。毎年7月1日から翌年の6月30日までを酒造年度としており、BY4とは令和4年7月から令和5年6月までの間に製造された日本酒のことであり、BY3はその前年度のお酒、つまり古酒であることを意味します。
 その古酒をタンクの内や瓶詰めの状態で3年以上寝かせたものを「熟成古酒」と呼んでおり、徐々に愛好家が増えてきています。皆さんの中には「日本酒の古酒?」と思われる方がおられると思いますが、実は江戸時代には香味が豊かになるとの理由で結構な人気を博していたのです。しかし、明治時代に入ると、酒税制度が現在のような出荷時に税を徴収する蔵出し税ではなく、製造時に課税する造石税であったため、資金の回収を急ぐ蔵元は熟成に長い年月を必要とする古酒から手を引いたのです。戦後は蔵出し税へと変わりましたが、日本酒は造ったら早く飲むもの、時間が経つと腐敗する等の思い込みや誤解もあり暫くは日の目を見ることはありませんでした。
 私が熟成古酒を初めて飲んだのは20年程前ですが、紹興酒のような濃い琥珀色と独特の匂いに戸惑ったことを覚えています。その印象が一変したのは、千葉県いすみ市の「木戸泉」を訪ねた時のことです。高温で山廃仕込みをする酒蔵として有名であり、酒蔵を訪問した際に熟成古酒の瓶が並べられた部屋に案内されました。何と昭和30年代から試行錯誤しながら熟成古酒に取り組んでおられ、酒瓶には5年から30年までの数字が順番に表示されています。そして、試飲すると香りや味の奥深さと上品さに驚くばかりでした。我々が日常的に飲んでいる日本酒の延長ではなく、全く異なる次元の日本酒ワールドを垣間見た思いがしました。
 熟成古酒を手掛けている酒蔵は未だ少ないためポピュラーとまではいきませんが、最近は店頭でもよく見かけるようになりました。色が琥珀や茶であるのは、日本酒に大量に含まれるアミノ酸と糖分がアミノカルボニル反応したからです。その一方で、アミノ酸が少ない大吟醸酒の古酒の場合は、例えば白山市の「菊姫菊理姫(くくりひめ)」のように無色のままの状態であり、香味も古酒の中では淡麗で上品な印象があります。
 熟成古酒は通常の日本酒のようにぐいぐい飲むものではなく、小さな猪口で珍味かチーズをあてに嗜むのに適しています。若い古酒と長期熟成古酒を比較して飲むのも一興です。値段の方は、10年、20年と時間をかけて熟成するため古いビンテージほどに高くなりますが、決して呑兵衛の期待は裏切らないと思います。是非、一度チャレンジしてください。
野蒜摘み奈落となりし昼の酒盤水