春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

古典に学ぶ (126)源氏物語2024年1月号

「病」と「死」を物語はどう描いたか⑩ 葵上⑥  葵上亡きあと、源氏と六条御息所が和歌を贈答する場面がある。光源氏が自分のことを、葵上を取り殺した犯人であると疑っているかもしれないと推し量った御息所は、晩秋の哀趣深まる頃、光源氏の思いを知るために洗練の限りを尽くして弔問の手紙を書いた。

はいかい漫遊漫歩(222)(223)2024年1月号

「どろ亀先生」は、定年退官するまで本郷・駒場の大学キャンパスでは一度も教壇に立たず、演習林でのフィールド・スタディと教育に徹した稀有の東大教授だった。

「俳句文法」入門 (59) 2024年1月号

ミスを正して説明してくれとの要請があり、傍点が誤り。「秋風をまとゐ」これは「まとひ」が正。「癒へにけり」→「癒えにけり」終止形は癒ゆ(ヤ行下二段活用)。「見へ隠れ」→「見え隠れ」が正。終止形は見ゆ(ヤ行下二段活用)。など

韓の俳諧(59)2024年1月号

臼田亞浪は朝鮮公論の俳壇の選者を1925年7月号から務めるが、亞浪が2か月出雲に旅に出たため、その次は10月号に亞浪選が掲載された。また、石楠の京城支部も出来、句会の互選句も同号に掲載された。韓国内の学校を卒業した俳人も出て来た時代であった。

鑑賞 「現代の俳句」(33)2023年12月号

海と空何も語らず沖縄忌 三代川玲子

古典に学ぶ (125)源氏物語2023年12月号

「病」と「死」を物語はどう描いたか⑨ 葵上⑤  現実には起こりようのない奇怪な事態をまのあたりにした源氏は、女の妄執の恐ろしさにおののいた。

はいかい漫遊漫歩(220)(221)2023年12月号

 映画『男はつらいよ フーテンの寅』シリーズで“フーテンの寅 ”ことテキヤの車寅次郎を演じた国民栄誉賞俳優、渥美清は、「風天」の俳号で〈 お遍路が一列に行く虹の中 〉〈 赤とんぼじっとしたまま明日どうする 〉〈 やはらかく浴衣着る女(ひと)のび熱かな 〉などの佳句を遺した俳人でもあった。 元テキヤの俳人、正道寺宏一は、紙芝居『黄金バット』の作者で、風俗考証家、評論家、加太こうじさんと旧制の高等小学校時代の同級生だった。加太さんが1985年に上梓した『街のエリート聞き書き集 名もなく すがしく したたかに』(筑摩書房刊)から引く。

韓の俳諧(58)2023年12月号

『石楠』の臼田亞浪が『朝鮮公論』の俳壇の選者を、1925年7月号から担当したが、当時の『石楠』の雑詠欄に韓半島から、筒井樹九路と相澤草水の2名が投句していた。また京城に移住した庄司鶴仙が、京城に『石楠』の支部を作ることになった。

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