春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

はいかい漫遊漫歩(74)(75)2017年11月号

不義密通はご法度の江戸時代、武士出身の俳諧師、有井湖白と駈落ちした築後国唐島(現久留米市)の庄屋の内儀、なみ、時に二十九歳。有井湖白は駈落ち後、湖白庵浮風と改号。なみも浮風の指導よろしきを得て腕を上げ、浪女(波女)と号する俳人に。浪女から雎鳩に改号。浮風が61歳で死去、その百ヶ日の忌に48歳の雎鳩は剃髪、諸九尼を名乗り、女宗匠を目指す。58歳のとき、諸九尼は芭蕉の「奥の細道」を辿り、奥羽行脚の記録を纏め上げる。夫、浮風の生まれ故郷、直方(現福岡県直方市)に居を移した湖白庵で養女の慈法に看取られて逝去。享年六十八歳。

曾良を尋ねて(98) 2017年10月号

村上家での曾良への優遇は曾良がいかに身分が高かったのかが推測される。 伊勢長嶋藩の家臣の名簿には岩波庄右衛門正字が載っていなかったのは曾良と同一人物で あったと推測される。

鑑賞 「現代の俳句」(113)2017年10月号

内側は悲しみばかり夜の桃   今瀬剛一[対岸]

衣の歳時記 (91) 2017年10月号

秋になって着る服装の総称である「秋の服」。夏服の薄い素材や色合から、落ち着いた趣のものへと変わっていく。生地は保温性のある布が選ばれる。夏と冬の間に着る合着ともいわれ、着る期間はそれほど長くはない。副季語は「秋服」「秋の帷子」。

枕草子のおもしろさを読む(5)2017年10月号

山は 小倉山。鹿背(かせ)山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。わすれずの山。末(すゑ)の松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。いつはた山・かへる山。

はいかい漫遊漫歩(72)(73)2017年10月号

三笠宮崇仁親王が、平成28年10月、百歳の天寿を全うされた。終戦時は陸軍少佐の軍人だったが、戦後は古代オリエント史の研究者として東京芸大、東京女子大などの教壇に立たれた。そして、百合子妃(95歳)と『初雪』『夕虹』の二冊の夫婦合同句集を持つ“俳人宮さま”だった。 士農工商の封建社会、男社会だったはずの江戸時代、芭蕉の登場で全国に蕉風俳句の流れが広がった17世紀末から19世紀前半にかけて、驚くほど多数の女性俳諧師が活躍し、百冊に及ぶ撰集が板行されていた。夫の谷口楼川とともに江戸座の宗匠を務めた田女は「俳諧の清少納言」とも言える才女俳諧師だった。

自由時間 (52) 2017年9月号

小泉八雲は、俳句(発句)を読んで評価した初めての西洋人である。彼は、俳句が重要な文学形式であることを英文で著わし、俳句をよく理解して敬意をもって英訳した最初の人である。こんな夫人の証言がある。彼は、発句が好きで、沢山覚えていて、廊下を歩きながら節をつけて朗詠していたという。また、「ホトトギス」も毎号読んでいたという。

曾良を尋ねて (97) 2017年9月号

芭蕉と曾良は良兼の祥月命日の墓参のために村上に着くように日程を組んだ。松平良尚に忠輝が正字(曾良)が武士として生きられるよう頼んだのではなかろうか。

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