子規の四季(75) 多作多忙の年末  池内けい吾

 

 明治32年(1899)12月、子規は多忙な日時を送っていた。この年5月には病状が悪化し発熱不眠に苦しんだが、6月以降は病状もやや好転。子規は自身の余命を悟ったかのように精力的に活動を始めた。人力車に頼ってではあるが、さかんに外出もした。子規庵では句会、歌会のほかに文章会が定期的に開かれ、子規は写生文の指導にあたった。東京版「ホトトギス」は好調で、11月25日に刊行した第三巻第二号は二千三百部が即日完売となった。
 12月1日(金)、俳諧叢書第二編『俳人蕪村』をほととぎす発行所より刊行。翌12月3日には、根岸短歌会開催。
12月4日には「日本」に「短歌を募る辞」を掲載、新年雑詠での新しい短歌を求めた。12月10日には子規庵句会例会を開催。この日、「ホトトギス」第三巻第三号刊行。子規はこの号に「病」「熊手と提灯」「根岸庵草廬記事」「新刊」「消息」「俳諧三佳書序」の六編の文章を一挙に発表した。これまでも「ホトトギス」には毎号のように文章を書いていたが、この号では特に多作ぶりを見せている。このうち「消息」は、子規の近況や周囲の人々のこと、さらには自身の生き方にも触れた興味深い一文である。書簡体の文語で書かれた文書の切れ味にも注目したい。

 消息はいつもいつも人の手を煩し候につき此度は小生(子規)より可申上候。
 小生の病気は先づ先づ無事に経過致居候。
若し前年に比して少しにても善きかと申せば少しも善き方にては無之候へどもさりとて何処が悪いと申すにても無く候へば「先づ先づ」といふ副詞付の無事にて、今日の支那を無事といふと同じく一向あてにならぬ無事に御坐候。

 こんな書き出しで始まる「消息」は、まず内藤鳴雪の近況を紹介している。

 鳴雪翁は昨今非常の勇気にて毎日必ず二十句位の句作有之候。
それも暇多き人の仕事ならば左迄驚くにも及ばず候へども朝より夜迄俗事の渦の中に立たるゝ翁にして此勇気あるは我々後輩をして瞠どうじゃく若たらしめ候次第に有之候。

 鳴雪は常盤会寄宿舎監督のほかに、種々の業務を無報酬で果たしていることを紹介。商人などよりもはるかに多忙だが、鳴雪の多忙は無報酬の多忙であるとして、こう賞賛する。

此の如きは畢竟(ひっきょう)翁の義務を重んじ徳義に厚きの致す所にして普通の人ならば怠慢に附して打ち棄て置くべき事をも翁は一々に処理して毫ごうはつ髪も遺憾無からしむる処迚とても他人の及ぶ所にあらず候。

 ついで鳴雪と虚子・碧梧桐間の文学論争に触れたあと、病後の虚子の多忙な近況に移る。

 虚子君は最早病気の名残も留めず元気回復せられ候へども兎角持前の無精は離れず候。
虚子君の無精と小生の発熱と相助けて保等登藝須(ほととぎす)の遅延を来し候は諸君に対して申訳無之候。
併し発行遅延に関しては此他に猶一原因有之候。
それは虚子庵の来客昼夜間断無くために原稿を書く時間を奪はれ又は編輯整理の事務渋滞してはかどらざる事に候。
来訪諸君は雑誌発行の期日を考へ多忙の時に長談を為されざる様希望致候。

 右は、前月の「ホトトギス」第三巻第二号の発行が半月も遅延したことへの釈明。さらに虚子の無精も、大阪から上京して「ホトトギス」の編集に従事している松瀬青々の無精も、身体の活動が鈍っているのが原因だと決めつけている。

身体の活動の鈍きは即ち栄養の不十分に原因致し候者故此無精を直さんとならば御馳走を喰ふが第一に御坐候。
小生は両君に逢ふ度に御馳走論を擔か き出して勧告致居候。
(中略)御馳走を贅沢の如く思ふは大なる誤にて富も知慧も名誉も一国の元気も皆此御馳走の中より湧き出で可申候。
もつとも御馳走と申し候ても正月の筍を喰ひ舶来の缶詰を賞翫する様な奢 侈(し ゃ し)をいふ者にあらず一口に具象的に申候はゞ牛をおたべなされと申事に御坐候。
牛が無ければ豚にても宜しく豚が無ければ鳥にても宜しく鳥が無ければ魚にても宜しく候。

 頭脳を使う人こそ東洋流の粗衣粗食論から脱却し、動物性蛋白質を摂取することが大事だと子規はいう。そして自分も〈若し初より御馳走主義を実行せしならば今日の如くかひなき身とはなるまじきものをと存候〉と後悔している。
さらに「風雅は植物性にして米の中の一元素なり」をモットーとし、芭蕉流の幽玄的趣味で知られる鳴雪翁も、実は〈牛のロース
は湯気の立つ饅頭と共に最好物〉だと暴露している。
 ついで「消息」は、アルコール論に及ぶ。

 青々君は下戸なれども虚子君は上戸に候。
上戸にも牛伴君露月君繞石君墨水君等いろいろ候へども其中にて虚子君の如く善く酔ふ上戸はなく候。
酔はぬ人の酒飲むも宜しくはあらねど、酔ふ人の大酒は其害覿てき面めんに来り候故最も恐ろしく候。
虚子君も此頃は自ら省らるゝ所あり大に此点に注意せらるゝは甚だ喜ばしき事に御坐候。

 子規にいわせると酒の勢いで書いたような〈発作的文学〉は、一時花を咲かす事があっても到底健全な発達を遂げることはないという。
 また俳句を作る人には、自分の職業に一心に励み、余暇を挙げて俳句の研究をすることを勧める。
〈大好物の俳句を作るために家業を務めて居ると思へば家業も好きに成可候〉。
 ついで碧梧桐、坂本四方太、浅井黙語、中村不折、折井愚哉らの近況に触れたあと、「ホトトギス」読者への子規からのお断りが何項目か記される。地方の読者で俳稿を寄せ、批評を記して送り返して欲しいという人があるが、多くの仕事を抱えているため心ならずもお断りしている。各地から花見、海水浴などのお誘いも多いが、家の中さえ歩けない不自由な身ではとても無理との謝辞。たまたま俥での外出の記事を見て、病気全快と勘違いする人もあることなどを記し、「消息」はこう締めくくられる。

況(ま)して外出は医師より禁ぜられ居事に候。
或人は、来春にもならば御病気も直るべく其節は屹度我地方へ遊びがてらに来給ふべし我迎へに来ん程に道中は介抱し参らせん、など真心から申され候。
斯く申されては何と返答致して善いやら甚だ惑ひ申候。
…………………直り候はゞ参り可申候。(十一月廿八日記、子規)