子規の四季(80)   病牀六尺の世界         池内けい吾

 
   明治35年(1902)5月3日、叔父・加藤拓川がベルギー公使として赴任のため出立した。子規は根岸の笹の雪の菓子に添えて、惜別の句を贈った。
  春惜む宿や日本の豆腐汁
 この日は虚子が看病のために訪れ、「日本」に連載する『病牀六尺』の第一回を口述筆記した。
 
 病牀六尺、これが我世界である。しかも此六尺の病牀が余には広過ぎるのである。僅に手を延ばして畳に触れる事はあるが、布団の外へ迄足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。(中略)其でも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、其さへ読めないで苦しんで居る事が多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくて為に病苦を忘るゝ様な事が無いでもない。

 5月5日から連載の始まった『病牀六尺』の冒頭である。秋山真之、夏目漱石、中村不折らの親友たちについで、最愛の叔父までも海外へ去ってしまった。子規がその寂しさと病苦を紛らわすには、とにかく書くことしかない。しかし、病床にあって自らは筆をとることもままならない。そのため虚子、碧梧桐、秀真らの門人たちが子規に代わって筆記することで、この連載は子規の死の前日まで続くことになるのである。
 5月6日、この日も虚子、秀真来宅。浅草の古書肆・朝倉屋の店員が画帳を届けに来る。この日は『病牀六尺』の第四回が虚子が口述筆記。内容は西洋と日本の絵画の比較論であった。
 5月8日、朝から雨。昨日来の苦痛もやや癒えて、少しは眠ることができた子規は、牛乳二杯を飲み麻痺剤を服用。碧梧桐夫妻が看病に来る。朝倉屋から届けれた画帳を碧梧桐とともに見る。
 
 午後は粥に刺身など例の如し。繃帯取替をなす。
 ドンコ釣の話。ドンコ釣はシノベ竹に短き糸をけ蚯蚓を餌にして、ドンコの鼻先につきつけること。ドンコ若し食ひつきし時は勢よく竿を上ぐること。若し釣り落してもドンコに限りて再度釣れることなど。ドンコは川に住む小魚にて、東京にては何とかハゼといふ。
 
 碧梧桐が口述筆記したと思われる『病牀六尺』第五回に記されたドンコとは、松山地方では子供にも釣りやすい最も身近な川魚である。碧梧桐とは、ドンコ釣りの思い出や松山郊外の川や池の話が弾んだようだ。
 この日は一度帰宅した碧梧桐の妻・茂枝子が、泣きながら再びやって来た。聞けば飼っているカナリヤが昨日と今日続けて産卵したあと、急に具合が悪くなりの外で身動きしないという。糞づまりか。それとも尻に卵がつまったのか。子規は戯れに祈禱の句を詠む。
  糞づまりならば卯の花下しませ
 5月15日。朝から三十四度七分という低体温に苦しめられる。松山の親族へ「サヨナラ ネギシ」と電報を打とうかなどという。午後、次第に苦しさを忘れ、あたかも近くの三島神社の祭礼なので、豆腐汁と木の芽和えで葡萄酒を一杯傾ける。この祭礼の毎年の例のように、雨が降り出す。
  この祭いつも卯の花くだしにて
 5月18日、晴。ベルギーへ赴任中の加藤拓川宅で三男が誕生し、父の幼名と同じ忠三郎と名づけられた。のちに、妹・律の養子となって正岡家を継ぐことにな子である。子規はさっそく祝句を詠んだ。
  雀の子忠三郎も二代かな
 5月20日ごろ、苦吟しつつ原稿を書きつぐ子規を痛ましく思った「日本」の編集主任古嶋一雄が、子規休ませようと『病牀六尺』を一日休載した。子規はただちに古嶋へ手紙を書いた。
〈僕ノ今日ノ生命ハ「病牀六尺」ニアルノデス 毎朝寐起ニハ死ヌル程苦シイノデス 其中デ新聞ヲアケテ病牀六尺ヲ見ルト僅ニ蘇ルノデス 今朝新聞ヲ見タ時ノ苦シサ 病牀六尺ガ無イノデ泣キ出シマシタ ドーモタマリマセン モシ出来ルナラ少シデモ(半分デモ)載セテ戴イタラ命ガ助カリマス〉
 5月26日。思い起こせば人力車で最後に外出したのは二年前。本郷の岡麓宅での園遊会であった。あれ以来どこへも出かけてない。
 
 病に寐てより既に六七年、車に載せられて一年に両三度出ることも一昨年以来全くできなくなりて、ずんずんと変つて東京の有様は僅に新聞で読み、来る人に聞くばかりのことで、何を見たいと思ふても最早我が力に及ばなくなつた。
 
 として、子規は『病牀六尺』十四に、まだ見たことのないものでぜひ見たいものを列記した。
 活動写真。自転車の競争及び曲乗。動物園の獅子及び駱駝。浅草水族館。浅草花屋敷の狒(ひひ)及び獺(かわうそ)。見附の取除跡。丸の内の楠公の像。自働電話及び紅色郵便箱。ビヤホール。女剱舞及び洋式演劇。蝦茶袴(えびちゃばかま)の運動会。
 根岸の子規宅から上野動物園は猛獣の咆哮が聞こえるほど近いのに、その姿を見たことはない。浅草花屋敷の獺は、獺祭書屋主人を名乗るからにはぜひとも見ておきたい。新奇なものへの好奇心旺盛な子規の、外が叶わない口惜しさが痛いほど感じられる一節である。