「晴耕集」8月号 感想 柚口満
讃州の雲ひとつなき麦の秋朝妻力
讃州は讃岐、旧国名であり今の香川県である。この句を読んでふと思い出した風景がある。10年前の4月、作者の力さんのお世話で「雲の峰」との合同吟行会が開かれ鳴門の渦潮ほかを見学したのだが、その時に讃岐平野の広大な青い麦畑を堪能したのである。
季節は違うが掲句は黄熟した初夏の麦畑、雲のない青空の下、満目の麦の秋。爽快感に満ちた気持ちのいい俳句である。讃州の地名の使い方もうまい。そうそう讃岐の名物はうどんであった。
迎へ梅雨雷神江戸の空翔る沢ふみ江
迎え梅雨は走り梅雨ともいい6月11日の入梅より早く5月末、6月初めの頃に梅雨模様になることをいう。
そのきっかけ、さきがけとなったのが雷鳴だったとこの句はいう。雷神としたのが面白い。大東京、大江戸の空を翔けた、というから大暴れしたことが伺われる。それにしても昨今の日本の気象状況はどうなったのか、雷神、風神を怒らせ日本全国がゲリラ豪雨に見舞われるとは行く末が案じられる。
母の日の少し粧ふ母であり杉阪大和
母の日の母飯粒を最後まで武井まゆみ
毎年5月の第2日曜日になると母の愛に感謝し、敬愛の念を深める母の日がやってくる。現在ではカーネーションの花や母の好みのものを贈ったりする。
一方、感謝される母の側はどんな思いでこの日を迎えるのであろうか。
大和さんの句。中七の少し粧ふの「少し」がこの句のすべてと言っていいだろう。粧とは化粧、新装のこと。化粧や新しいよそおいの母だったと述懐する。少しに込められた母の慎ましさ、恥じらいが引き立つ。
まゆみさんの句。戦前、戦後を経験されたお母さんであろうか。お祝いの食事のご飯を最後までひと粒も残さず召された。その表現からは母の佇まい、矜持といったものが立ち上がってくる。
舟で着く大川端や五月場所倉林美保
舟、大川端、五月場所とくると一読して気持ちの良い爽快感を感じるのは言の葉の力であろうか。年6場所になった大相撲、なかでも五月場所(夏場所)は相撲ファンにとっても快適に観戦できる場所である。
そして隅田川を舟に乗って大川端で降りてとは、なんという相撲オタクであろうか。お仲間数人との贔屓力士への声援はさぞかし熱の入ったことだろう。場所がはねた後の下町での食事の賑わいも想像できるというものである。
木戸口に莢豌豆と置手紙中川晴美
向う三軒両隣という言葉がある。自分の家の向う三軒と左右二軒を指す言葉であり日頃親しく交際するお隣さんを指すのである。掲句を読んで咄嗟にそんな言葉が脳裏に浮かんだ。
ちょっと留守をしているあいだに木戸口に置かれた莢豌豆と簡単な置手紙、相手に負担をかけない物とメモに優しい気遣いが感じられて嬉しい一句になった。せちがらい世の中でこのような句に出会うと心が和んでくる。
蚊遣火をふたりで分かつ余生かな鈴木志美恵
自分の少年の頃は夕方になると本格的に蓬を干したものや楠や榧の木片などを部屋に燻らせその煙で蚊を追いやっていたが最近は蚊取線香や無臭の製品が出回り様子は大きく変化した。
この句は蚊取線香の煙を分け合い秋の夜を静かに送るご夫婦の様子が窺える。納屋での夜なべ仕事か、あるいは居間でそれぞれが読み物をされているのか。
蚊遣りの煙が静かに立ち込めるなか、ながく歩んでこられたお二人の人生が蚊遣火を介して忬情豊かに詠まれた一句である。
おならはだーれ海ほほづきを口に母上野直江
この句は6月の春耕同人ネット句会で蟇目良雨主宰の特選に入った作品である。私も選者の一人であったが兼題の海酸漿に疎く選を逃してしまった。
一読して出だしが、おならはだーれで始まる破調の句ということもあり早々と見切ってしまったのが失敗であった。
お母さんが小さい子供たちを集め海酸漿の音をまずブウーと。そしてすかさず母が放った「今、おならをしたのは誰?」。この瞬間の機知のきいた行動の素晴らしさ、俳句の表現の多用さを改めて感じた次第。
火袋に仄と火の揺る末の春藤田壽穂
火袋とは灯籠の火をともす場所を指す。灯籠というからにはどんな所に設えられたものかが気に掛かる。由緒ある社寺の境内か、お座敷から眺める美しい庭園なのかはたまた・・・。
いずれにしても春の宵、灯籠に仄かに揺れる蝋燭の火がいやがうえにも惜春の情緒を助長する。火袋の火が落とされると青葉の夏の到来だ。
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